ご社宝めぐり

港区
氷川神社【赤坂氷川神社】
幕末三舟掛軸「氷川神社」
 赤坂氷川神社には、勝海舟・高橋泥舟・山岡鉄舟がそれぞれに「氷川神社」と記した掛け軸が所蔵されている。
 勝海舟は幕末の動乱期にこの地に屋敷を構えており、赤坂の地とは縁が深く、維新後、徳川家に従って駿府に移った後も、明治5年(1872)から晩年まで氷川町十番地に2300坪余の邸宅を構えている。
 高橋泥舟は旗本山岡家の出身で、将軍徳川慶喜に近侍し、鳥羽・伏見の戦い敗戦後は寛永寺や水戸に謹慎した慶喜の護衛を務めている。徳川家が駿府に封じられると同藩藩士となり、廃藩置県後は東京に戻って隠棲した。
 山岡鉄舟は江戸城無血開城に立ち合い、維新後は新政府に出仕し、明治5年から同10年まで明治天皇の侍従を務めた。鉄舟は剣や書の達人として知られ、ここには「正四位山岡鉄太郎拝書」と書かれていることから、正四位に叙任され晩年を過ごした明治15年以後のものと考えられる。
氷川神社【赤坂氷川神社】について
 天暦5年(951)武州豊島郡一ツ木村(人次ヶ原)に祀られ、平安時代以来の歴史を有する。治暦2年(1065)、関東に大旱魃が発生、降雨を祈願するとそのしるしがあり、以来よく祭事が行われた。江戸時代に入り、幕府の尊信は篤く、8代将軍徳川吉宗公が享保元年(1716)、将軍職を継ぐに至り、老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(忠臣蔵・浅野内匠頭の夫人、瑶泉院の実家・浅野土佐守邸跡)に現社殿を建立、翌15年(1730)4月26日に遷座が行われ、28日に将軍直々の参拝があった。以降、14代家茂公まで、歴代将軍の朱印状(港区文化財)が下附された。
【鎮座地】東京都港区赤坂6-10-12
(令和2年5月寄稿)