東京都神社庁は、東京都内にある1,398の神社を取りまとめている団体です
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令和七年「生命の言葉」
新着情報
令和7年11月1日
ご社宝めぐりに「胡粉を挽いた臼」(胡録神社)を掲載しました。
令和7年11月1日
生命の言葉「令和七年十一月」を掲載しました。
令和7年10月1日
ご社宝めぐりに「高輪太子宮 石門」(高輪神社)を掲載しました。
令和7年10月1日
生命の言葉「令和七年十月」を掲載しました。
令和7年9月1日
ご社宝めぐりに「板絵着色武者図絵馬 一対」(白髭神社)を掲載しました。
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生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
令和七年十一月
野口英世
人生の最大幸福は
円満なる親子・師弟の愛情より
切なるはなく
野口英世
日本の医師、細菌学者。一歳半の時に左手に大やけどを負うが、恩師・友人・家族の励ましと援助を受けて苦難を克服する。左手の手術により医学のすばらしさを実感し、医学の道を志す。ロックフェラー医学研究所の研究員として主に黄熱病(おうねつびょう)や梅毒の研究に従事して数々の論文を発表、ノーベル賞候補にも三度選ばれた。昭和三年、西アフリカで黄熱病の研究中に感染し死去。
◎
神道知識の誘(いざな)ひ
酉(とり)の市
十一月の酉の日に行われる鷲(おおとり)(大鳥)神社の祭礼行事。酉の日は十二日に一回巡り、初酉を一の酉、次を二の酉三番目の酉のある年は三の酉といいます。大抵二の酉ですが、三の酉まである年は火事が多いといわれます。古くは「酉のまち」(まちは祭りの意)といい、現在は「お酉様」と称して親しまれています。
また各所の社寺で鷲神社を勧請したことにより酉の市は方々でみられます。鷲神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀り、武運長久の神として武士の信仰をあつめていました。
酉の市は、鳥(酉)が「取る」「取り込む」に通ずるとして、恵比寿・大黒・おかめ・入船・金銀財宝で飾った熊手を求めて開運出世・商売繋盛を祈願する信仰が広まりました。元来は祭礼の露店で農具などが売られる中で、農具の一つである熊手が「福徳をかき集める」と注目されたことが所以と考えられます。
熊手だけではなく、唐(とう)の芋は「子をふやし」「頭になる」との縁起から喜ばれ、粟餅は黄金餅ともいわれ、菓子の切山椒と共に名物の土産物として商われておりました。
今月の祭日
【文化の日(三日)】
本来は「明治節(明治天皇のこ生誕日)」。自由と平和を愛し、文化を進める日。
【勤労感謝の日(二十三日)】
本来は「新嘗祭(五穀豊穣に感謝する祭り)」の日。勤労を尊び、収穫・生産を祝い感謝する日。
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ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
荒川区
胡録神社
胡
ご
粉
ふん
を挽いた臼
胡録神社の鎮座地である荒川区南千住8丁目あたりは地方橋場村小字汐入(じかたはしばむらこあざしおいり)とよばれており、400年前に上杉家家臣の高田嘉左衛門らが開発した村と伝えられる。
写真の右臼は胡粉を挽く際に使用されたもの。汐入では明治の中頃まで胡粉の製造が盛んで、当地産の胡粉は品質極上を誇り、人形の上塗りのおしろいや絵具の材料、能面仕上げ、元結(もっとい)などにも使われた。
胡粉作りは焼いた牡蠣殻を粉にするという重労働であったこともあり、機械加工が普及するにつれ石臼の使用は廃れ、そのうちの一つが奉納された。
昭和27年に胡録神社に奉納された襖絵(『東神』平成4年10月号に掲載)には、山と積まれた牡蠣殻が描かれ、胡粉の製造が盛んであった頃の面影をしのぶことができる。
胡録神社について
胡録神社は、永禄4年(1561)8月川中島合戦の折、上杉の家臣高田嘉左衛門等が汐入に移り、村落生活の安寧を祈願するため祀られたと伝わる。古くは第六天と称したが明治以降、当地汐入の生業として盛んであった胡粉作りの「胡」の字と第六天の「六」にあやかり、御社号を胡録神社に改称したという説も伝わる。
【鎮座地】東京都荒川区南千住8-5-6
(令和6年11月寄稿)
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港区
高輪神社
高輪太子宮 石門
高輪太子宮は古くは太子堂と呼ばれた。江戸時代は聖徳太子を崇敬する太子信仰が盛んで、府内各所で太子講が結成されており、この石門は文政10年(1827)7月に江戸石工組合によって寄進されたものである。 石門の左右の彫刻は唐代の故…
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葛飾区
白髭神社
板絵着色武者図絵馬 一対
弁慶牛若丸図と川中島合戦における上杉謙信・武田信玄対決の図の絵馬額一対である。前者は上下に金地の雲形が入り、左に跳躍する牛若丸、右に薙刀をもつ弁慶が対峙する図で、背後には五条の橋と思われる欄干が描かれている。 後者も上下に金…
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中央区
波除稲荷神社
獅子頭
江戸時代の神社創建時より築地では、獅子は風と雲を従える龍虎を一声でひれ伏させることができるとされ、同神社には巨大な獅子頭一対が、町中に三十対ほどの獅子頭があり、現在も行われている祭礼「つきじ獅子祭」ではそれを担いでまわったと伝え…
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