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まつりについて

神社のまつり、家庭のまつり、人生のまつりをご紹介しています。

神社のまつり

例祭

神社で最も重要な祭典

 「例祭」は「例大祭(れいたいさい)」ともいわれ、神社で最も重要な祭典とされています。例祭は年一回(神社によっては年二回)執り行われ、その期日には、御祭神に縁故(ゆかり)のある日、または神社の由緒と関わりのある日が選ばれますから、神社によって違います。
 なお、伊勢神宮には例祭はありませんが、神宮の数ある祭典の中で最も重要とされている「神嘗祭(かんなめさい)」がそれに相当します。神嘗祭は、例年十月十五日から十七日に行われ、その年に収穫した新穀を大御饌(おおみけ)として神さまに奉ります。 この日、宮中の賢所(かしこどころ)においても祭典が行われますが、戦前までは国の祝祭日となっていました。

祈年祭

稲穂を蒔く季節の初めに行われるお祭り

 「祈年祭」は「としごいのまつり」ともいい、毎年二月十七日に全国の神社で行われるお祭りです。ちなみに「年」とは稲を意味し、稲穂を蒔(ま)く季節の初めにあたって、その豊穣(ほうじょう)を祈願するわけですから、いいかえれば人間の生命の糧(かて)を恵んでくださるようにとお祈りするお祭りといえるでしょう。したがって、一粒の米にも神さまの御霊(みたま)が宿ると考えられているのです。
 祈年祭では、稲だけでなく五穀の豊穣と国の繁栄、そして皇室の安泰や国民の幸福なども祈願されます。この日は、宮中の賢所(かしこどころ)においても祭典が行われ、天皇が御親拝になられるということです。

新嘗祭

新穀を得たことを神さまに感謝するお祭り

 「新嘗祭」は「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」はご馳走を意味します。毎年十一月二十三日に全国の神社で行われ、新穀を得たことを神さまに感謝する新嘗祭は、五穀の豊穣を祈願した二月十七日の祈年祭と相対する関係にあるお祭りで、この日、宮中では天皇が感謝をこめて新穀を神々に奉ると上もに、御自らも召し上がります。
 新嘗祭の起源は古く、『古事記』にも天照大御神が新嘗祭を行ったことが記されています。現在では「勤労感謝の日」として、国民の祝日となっていますが、一説によるとその祝目名は、命の糧を神さまからいただくための勤労を尊び、感謝をしあうことに由来しているといわれています。

節分

「豆まき」に代表される災厄や邪気を払う行事

 「節分」とは立春の前日をさします。そもそも節分という語は、立春だけに限らず立夏・立冬・立秋の前日をさし、四季の節目を意味していた言葉でした。つまり、節分は1年に4回あったわけですが、旧暦では立春が年の始まりにあたったことから、この節目が特に重要視されて、いつしか節分といえば、立春の前日をさすようになったのです。
 節分には、災厄や邪気を払う行事が行われますが、その代表的なものに「豆まき」があります。 年男が「福は内、鬼は外」と唱えながら、煎った大豆をまいて鬼を払うこの行事は、中国の明の時代の習慣を、室町時代に取り入れたといわれています。かつては、豆まきを「追儺(ついな)」「鬼遣らい(おにやらい)」といい、宮中の年中行事の一つでした。舎人(とねり)が扮した疫鬼を迫い払うことにより、災厄を払い除くというこの儀式が、次第に民間に伝わっていったのです。

大祓

心身を祓い清め、無病息災を祈る神事

大祓

 日々の暮らしの中で知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過ち、心身の穢(けがれ)を祓い清め、無病息災を祈る神事を「大祓(おおはらえ)」といいます。これは毎年6月と12月の2回、その月の末日に行われます。6月の大祓を「夏越の祓」、12月の大祓を「年越の祓」ともいいます。平安時代の法典「延喜式(えんぎしき)」にも、6月と12月の大祓が記されており、古くから行われていたことがわかります。
 大祓では「形代(かたしろ)=紙を人の形に切り抜いたもの」に名前と年齢を書き、さらにその形代で身体を撫でて息を吹きかけます。そうすることにより、自分の罪穢を移し、それを海や川に流すことで我が身の代わりに清めてもらいます。
 また、神社によっては鳥居の下や拝殿の前などに茅(かや)で作った大きな輪を設け、それをくぐることで疫病や罪穢を祓う「茅(ち)の輪くぐり」が行われています。これは、「備後国風土記」に見られる、蘇民将来(そみんしょうらい)が茅の輪を疫病除けのしるしとした伝承に由来します。こうして心身ともに清らかになって、あとの半年間を新たな気持ちで迎えるのです。

家庭のまつり

初詣

初詣は氏神さまから

初詣

 初詣は、地域の神社(氏神さま)よりお参りし、神さまに新年のご挨拶を申し上げ、今年一年間の無事と平安を祈願します。
 そもそも初詣は、大晦日の夜から元旦の朝にかけて祈願のために氏神の社に籠る「年籠り(としごもり)」から始まったといわれています。のちに年籠りは、除夜詣と元旦詣に分かれ、現在の初詣の形ができました。
 初詣は新しい年を迎えすべてがあらたまるとき、初日の出を拝むように新たなる御神徳と瑞々しい生命の力をいただくという祈りを込めて、神社にお参りいたしましょう。

雛祭り

雛人形を飾り、女の子の健やかな成長を祈る

雛祭り

 雛祭りは、3月3日に雛人形を飾って女の子の健やかな成長を祈る行事です。「桃の節句」「上巳(じょうし)の節句」ともいいます。上巳とは旧暦3月の「上旬の巳の日」のことであり、中国では3月3日を上巳として、この日に水辺で身を清め不浄を祓う習慣がありました。これが平安時代に日本へ伝わり、日本の風習と混じり合って雛祭りへと発展したのです。
 現在の雛祭りからは考えにくいかもしれませんが、もともとは人の形に紙を切り抜いた形代(かたしろ)で身体を撫で、息を吹きかけたりして自分の罪穢を移し、川や海に流して清めるという祓(はらえ)の行事でした。この形代は時代が下るにつれ、いつしか王朝風の美しい雛人形へと変化し、人々に愛玩され鑑賞されるようになりました。こうして祓の風習は後退していきましたが、現在でも雛祭りの本来の意義を伝える習俗が、鳥取県をはじめ各地に「流し雛」という形で残されています。

端午の節句

鯉のぼりや武者人形を飾り、男の子の勇ましい成長を祈る

端午の節句

 端午の節句は、5月5日に鯉のぼりをあげたり、武者人形を飾って男の子の健やかな成長を祈る行事です。端午の「端」は初め、「午」は五と同音であることから、古くは「月の初めの午(うま)の日」あるいは「毎月の五日」という意味もあったようです。中国では5月5日に蓬(よもぎ)で作った人形を家の戸口にかけたり、菖蒲酒(しょうぶざけ)を飲んだりして邪気を祓う風習がありました。蓬も菖蒲も共に強い芳香があることから、邪気を祓う魔除けの薬草とされていたのです。この風習が平安時代に日本へ伝わり、貴族からしだいに民間へと普及していきました。
 日本では、5月という月が田植えを間近に控えた「物忌(ものい)み月」であったことから、邪気を祓い身体を清めるために菖蒲酒を飲んだり菖蒲湯に入ったりしました。そして、この菖蒲が「尚武(しょうぶ)=武を尊ぶこと」と同音であることから、武家では男の子のお祝いとして甲冑(かっちゅう)や刀などを飾り、勇ましく成長することを祈ったのです。これが後に形を変えて武者人形飾りとなりました。また、鯉のぼりは滝を遡る力強い鯉にあやかったものとされています。現在では「子供の日」として国民の祝日にもなりました。

七夕

天の川の伝説から民間に親しまれる行事へ

七夕

 「七夕」といえば、牽牛(けんぎゅう)星と織女(おりひめ)星が年に一度、七月七日に天の川をはさんで逢うことができるという伝説が有名です。この伝説から、織女星をお祭りして裁縫(さいほう)や習字などが上達するように祈る、「乞巧奠(きこうでん)」という行事が生まれました。これら、中国から伝来した伝説と行事が、日本に古くから伝わる棚機女(たなばたつめ)(神衣を織る乙女)の伝説と結びつき、奈良時代には宮廷や貴族の問に取り入れられて、そして民間にも普及していきました。ちなみに、笹竹に色紙や文字を書いた短冊をつけて、軒先に立てるしきたりは、江戸時代になってからのことといわれています。
 また、七夕の日には、髪を洗ったり、子どもや牛馬を水浴びさせたりする風習が、各地に残されていることから、お盆を控えての、穢(けがれ)を祓(はら)い清める行事であったとも解釈されています。つまり、七夕の行事というのは、いくつもの要素が合わさり、その結果できあがった風習といえます。

十五夜

畑作物の収獲に関する行事へと発展した「お月見」

十五夜

 「十五夜」とは旧暦八月十五日、新暦では九月中旬あるいは下句に、満月を鑑賞する行事です。「お月見」「名月(めいげつ)」「中秋(ちゅうしゅう)の名月」ともいわれ、昔から月見の好時節として詩歌や俳句の題材ともなっています。一般的に十五夜には、すすきを花瓶にさして、団子と里芋や梨など、その時期の成り物を供えて、感謝の気持ちを表します。関西から中国地方にかけては、里芋を供えることから「芋名月」ともいい、もともとは芋類の収穫祭、すなわち畑作儀礼だったと考えられています。
 このような月見の習慣は、中国では唐の時代からあり、これが日本に伝来しました。そして、畑作物の収獲に関連する行事へと発展し、現在に至るまで長い間伝承されてきたのです。十五夜から約一ヶ月後の、旧暦九月十三日を「十三夜」といい、十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものとされていました。十五夜だけでは、「片月見」といって忌まれていたのです。また、十三夜は「豆名月」または「栗名月」ともいわれ、枝豆や栗なども供えられます。

人生のまつり

着帯の祝いと安産祈願

胎児の健全な発育を願い、腹帯を締め、安産を祈願する

 「着帯の祝い(帯祝い)」とは、胎児の健全な発育を願い、妊婦が白布の腹帯(岩田帯)を締めるお祝いです。妊娠5ヶ月目の戌(いぬ)の日を選ぶのは、犬のお産が軽い(安産)ことにあやかりたいという願いからだといわれています。また、この日に合わせて「安産祈願」を行い、無事な出産を神さまに祈願する方も多いようです。
 一般的に、祈願の際には氏神さまに参拝します。

初宮詣

初めて赤ちゃんとともに神社でお祓いを受け、今後のご加護を願う

 神さまのご加護によって無事に出産を終えたことの奉告と、子供の健康と成長そして今後のご加護を願い、初めて赤ちゃんとともに神社でのお祓いを受け、お祈りすることを「初宮詣(お宮参り)」といいます。地方により多少違いがあるようですが、一般的には男児が32日目(または31日目)、女児は33日目に行います。
 初宮詣のときには、赤ちゃんに祝い着(男児は黒の紋付き、女児は友禅の晴れ着)を着せ、夫の母(姑)が抱くのが伝統的です。かつては、妻の家が祝い着を調達していましたが、最近ではそういうしきたりにこだわらない方も増えてきました。また、何日目というのも一つの基準であって、どうしてもこの日にしなければならないというものではありませんから、まず赤ちゃんの健康を第一に考え日取りを決めましょう。

七五三

日頃の神さまの御加護に感謝し、さらなる成長を祈願する

七五三

 七五三を古くは「髪置(かみおき)」「袴着(はかまぎ)」「帯解き(おびとき)」のお祝いといっていました。髪置きは3歳の男女児が今まで剃っていた髪をこの日から伸ばし始める儀式で、袴着は5歳の男児が初めて袴を着ける儀式、帯解きは7歳の女児が着物の付け紐を取り去り帯に替える儀式です。
 子供たちの健康や成長など日頃の神さまの御加護に対してお礼を申し上げ、今後益々健やかに成長するようお祓いを受けます。なお、本来は数え年でお祝いしますが、最近では満年齢で行う割合も高くなり、また参拝の日取りも11月15日にこだわらず、その前後のお日柄のよい日に参拝する傾向が強くなってきました。

成人式

成人として社会から公認してもらい、祝福を受ける

 成人となったことを社会から公認してもらい、祝福を受ける儀式が「成人式」です。国民の祝日として、1月の第2月曜日に「成人の日」が定められており、この日は各地で新成人たちをお祝いする式典が催されたり、神社でも成人祭が行われ神さまに成人になったことを奉告します。
 かつては、「元服(げんぷく)」という、現在の成人式に該当する儀式がありました。11歳から16歳頃に行われ、男子が成人になった証として髪を結い、成人の装束を着て冠をかぶりました。貴人では、このときに幼名を廃して位を授けられたりしました。室町時代中期頃になると、庶民の間でも前髪を剃ったり袖を短くするなど、成人したことを示すためのさまざまな儀式が行われるようになりました。

厄年

肉体的にも精神的にも調子を崩しやすい人生の転換期

 日本には古来から人生の節目を「厄年」として忌み慎む習慣があります。厄年とは一生のうち何らかの厄難に遭遇する恐れの多い年齢をいい、医学の発達した現代においてもなお万事に慎まねばならない年齢として人々に意識されています。
 時代によって多少の変化はありますが、厄年とする年齢は一般には数え年で男性は25歳、42歳、61歳、女性は19歳、33歳、37歳です。中でも男性の42歳と女性の33歳は「大厄(たいやく)」といい、その前後の年齢も「前厄(まえやく)」「後厄(あとやく)」とされ、特に忌むべき年齢といわれています。
 厄年は現代の生活にもあてはまる人生の転換期であり、肉体的にも精神的にも調子を崩しやすい年齢といえます。厄年には神社で祈祷を受け、心身のさまざまな災厄をお祓いしましょう。

令和2年の厄年(数え年)



前 厄 本 厄 後 厄
24歳
平成9年生
丑(うし)
25歳
平成8年生
子(ねずみ)
26歳
平成7年生
亥(いのしし)
41歳
昭和55年生
申(さる)
42歳
昭和54年生
未(ひつじ)
43歳
昭和53年生
午(うま)
60歳
昭和36年生
丑(うし)
61歳(還暦)
昭和35年生
子(ねずみ)
62歳
昭和34年生
亥(いのしし)



前 厄 本 厄 後 厄
18歳
平成15年生
未(ひつじ)
19歳
平成14年生
午(うま)
20歳
平成13年生
巳(へび)
32歳
平成元年生
巳(へび)
33歳
昭和63年生
辰(たつ)
34歳
昭和62年生
卯(うさぎ)
36歳
昭和60年生
丑(うし)
37歳
昭和59年生
子(ねずみ)
38歳
昭和58年生
亥(いのしし)
60歳
昭和36年生
丑(うし)
61歳(還暦)
昭和35年生
子(ねずみ)
62歳
昭和34年生
亥(いのしし)
※数え年とは、満年齢に誕生日前には二才、誕生日後には一才を加えた年です。
※還暦はお祝いの年であり、厄年でもあります。人生の節目の還暦はお祝いとともに、厄除けをしましょう。

結婚式

結ばれたことを神さまに感謝し、今後夫婦二人の永い生涯を神前に誓う

結婚式

 ふたりが結ばれたことを神さまに感謝するとともに、平和な家庭を築き子孫の繁栄をはかっていくことを神前に誓う儀式が結婚式です。
 現在、神社以外にホテルなどでも特設の神殿を設けて「神前結婚式」を行うところが多く見られますが、その契機となったのは、明治33年5月10日、当時の皇太子(後の大正天皇)と九条節子さま(後の貞明皇后)の御成婚でした。その御成婚の儀は、皇室でも初めて宮中の賢所(神前)で行われたことから、東京大神宮ではこの慶事を記念し一般の人々に向けた結婚式を行いました。これが世間の注目を集めた各地へ普及していき、今日のように盛況を呈するようになったのでした。
 神前結婚式が普及する以前の結婚式というのは、各家の床の間のある座敷に親族縁者を招き、神名を記した掛け軸などを前にして行われていました。

年祝い

古稀・喜寿などの、還暦以後に行われる長寿を祝う儀式

  長寿を祝う儀式を「年祝い(算賀)」といい、広い意味で解釈した場合は、幼児期から始まる人生儀礼も含まれますが、通常は還暦以後のお祝いをさします。干支は60年で一巡して初めに戻る、つまり暦がもとに還るので、これが還暦という呼称の由来にもなっています。
 この他にも古稀(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)などがあり、呼称にはそれぞれ次のような由来があります。古稀は中国の詩人である杜甫の詩の一節「人生七十古来稀なり」から取り、喜寿は喜の字を草書体にくずすとと書くところからつけられ、傘寿は傘の略字であるを分けると八十と読めます。また、米寿は米の字を分けると八十八になり、卒寿は卒の略字である卆を分けると九十と読め、そして白寿は百から一を取ると白になるところから、白は九十九に通じるというわけなのです。
 これらのお祝いの年には、神社でお祓いを受け、無事に人生を送れたことへの感謝と喜びを神さまに奉告し、家族そろってお祝いするとよいでしょう。