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令和七年「生命の言葉」
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神社と神道の知識
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都内神社を訪れる旅へ
神社参拝の作法をご説明する動画をYouTubeにて公開中です。ぜひご覧ください。
生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
本田親徳
往き還り 足踏むごとに
産土の 神の恵みを
思へ世の人
家路の行き帰り
その都度、大地を踏みしめ
て生活するものとして
大地の神様の恵みを忘れ
てはならない。
本田親徳 (ほんだ ちかあつ)
明治時代の神道家。
文政五年(一八二二)一月、薩摩国川辺郡加世田郷武田村(現鹿児島県南さつま市)の本田主蔵の長男として生まれた。幼少期は漢学と剣術を学ぶ。天保十年(一八三九)十八歳のとき、会沢正志斎に入門。会沢門下として和漢を学び同時に平田篤胤の家にも出入りする。天保十四年、狐憑きの少女に出会い憑霊現象を実見。それ以来、霊学研究を始め、神霊を感合する道を求めた。
神道知識の誘(いざな)ひ
人形(ひとがた)(形代/かたしろ)
神道では日常生活で知らず知らずのうちに犯した過ち、罪(つみ)や穢(けが)れを祓い清めるための神事「大祓(おおはらえ)」があり、毎年六月と十二月の末日に行われます。
大祓では紙で作った人形(ひとがた)(形代/かたしろ)を用いたお祓いがあります。
人形に名前と年齢を書き、自身の身体を撫でて息を吹きかけ、心身の罪穢を人形へ移し、神社へ納めます。納められた人形は大祓を経て海や川などに流したり忌火(いみび)で焚き上げることで祓い清められます。
ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
江戸川区
浅間神社
後花園天皇の御製集
 今からおよそ550年前の室町時代に、後花園天皇(第102代)がお書きになったと伝えられる巻き物。江戸川区教育委員会・郷土資料室の文化財調査で発見された。
 巻き物は厚地の和紙で幅約30センチ、長さ約2メートル。桜の花びらを散らした地紋が薄く入っており、紙質は極めて高級なものという。毛筆書きの達筆で綴られており、内容は一部判読できないところもあるが、連歌集らしい。
 浅間神社で代々秘蔵されてきたもので、「後花園院宸翰」と書いた題字があり表装してあるが、巻き物の和紙も表装もかなり変色、時代の古さを物語っている。
浅間神社について
 浅間神社は平安時代の天慶元年(938)5月創建。区内で最も古く由緒ある神社として知られる。御祭神は木花開耶姫命。天慶3年、平将門の乱の際、鎮圧に向かう途中の平貞盛が同神社に金幣と弓矢を奉納して、将門降伏を祈願したという言い伝えが残る。
【鎮座地】東京都江戸川区上篠崎1-22-31
(令和6年6月寄稿)
  • 島嶼・大島
    吉谷神社
    薬師堂 木像七躯
     吉谷神社の境外末社である薬師堂内から昭和32年に三十余の仏像が発見された。このうち観世音菩薩立像、地蔵菩薩立像、四天王立像、兜跋(とばつ)毘沙門天立像の七躯は平安時代後期の作とされ東京都の重要文化財に指定された。いずれも檜一木造…
  • 豊島区
    髙田總鎭守氷川神社
    石造鳥居
     神田川に架かる面影橋を渡る道は旧鎌倉街道であり、江戸時代の絵図と現在も大きな違いはない。街道沿いの神社正面にあたる東側の石造鳥居は江戸時代、御府内である高田四つ谷町に下屋敷のあった鳥羽藩主稲垣摂津守の奉納によるもので、右柱には『…
  • 葛飾区
    青砥神社
    千隻万隻せんぞまんぞの船
     子供の正月行事に使われていた船。青戸では大正の始めまで伝承されていた。  まず、村の当番の世話役達が水神さまをまつる船を作り、船の左右には穴をあけ御幣をたてて、真ん中には特に立派な御幣をたてる。これを神輿のように小学生達が担い…
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