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令和四年「生命の言葉」
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都内神社を訪れる旅へ
神社参拝の作法をご説明する動画をYouTubeにて公開中です。ぜひご覧ください。
生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
貞明皇后
四方(よも)のくに むつみはかりて
すくはなむ さちなき人の
さちをえつべく
― 大正十四年貞明皇后より日本赤十字病院に御下賜の御歌
皇室と日本赤十字社
日本赤十字社の前身(博愛社)は、明治十年(一八七七年)五月、西南戦争の最中、佐野常民等の設立趣意書を征討総督 有栖川宮熾仁(たるひと)親王が許可し「敵味方の区別なく救う」という赤十字精神で、官薩両軍の疾病者の救護に当たりました。
設立時の博愛社は社員三十八人。この黎明期に財政支援したのが皇室でした。昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)は毎年の寄付に加え、明治十九年に博愛社病院(現・日赤医療センター)の開院式にご臨席。病院移転にあたっては、建設費用と土地を贈られています。
昭憲皇太后は財政支援だけでなく、磐梯山噴火、濃尾地震、三陸大津波など、明治の自然災害の被災者支援に自ら取り組まれました。戦時救護が世界の赤十字の主要任務とされていた時代、日本赤十字社の被災地救護の活動は先駆けとなりました。
関東大震災では、大正天皇の皇后・貞明(ていめい)皇后が自ら度々、日赤救護所や乳児院などを訪れ、赤十字社員を激励し、被災者を見舞われました。皇室は昭和以降も紛争・災害・病気などで苦しむ人を救うため日本赤十字社とともに支援活動を続けています。
都内戦災・震災殉難者慰霊祭

毎年、終戦日である八月十五日午後一時半より関東大震災・東京大空襲で亡くなられた約一六三〇〇〇体のご遺骨が安置されている東京都慰霊堂(墨田区横網町公園内)において都内戦災・震災殉難者(じゅんなんしゃ)慰霊祭を斎行し、御霊に慰霊の誠を捧げ御霊の平安をお祈りします。
当日の祭祀は、東京都神道青年会の青年神職が奉仕いたします。皆様方のご参列をお待ちしております。
*この祭事に関するお問合わせは 東京都神社庁 ☎03(3404)6525まで
今月の祭日
【八月十五日】
都内戦災・震災殉難者慰霊祭【於:東京都慰霊堂】
御霊の平安を祈念します。皆様のご参列をお待ちしております。
ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
新宿区
稲足神社
稲足(いなたり)神社  飛び地境内地
韋駄天尊(いだてんそん)  板碑(いたひ)
 江戸中期の創建。当初は、上州館林藩・秋元家の守護神として浅草に鎮座し、明治4年に秋元家下屋敷であった現在地に遷座した。昭和20年4月、空襲にて焼失。昭和30年、宮原柳僊画伯の筆により現在の板碑が復元され、昭和61年に堂宇が再建された。独立堂宇に祀られる韋駄天尊は珍しい。
 韋駄天尊は、インド由来の神で増長天八大将軍の一官とされる。俊足で知られ、足の神として信仰されている。足の速い人を「いだてん」と称える由来ともなった。
 東京マラソンに際しては、出発地の都庁に近いため、多くの走者が祈願を籠めている。
稲足神社・新宿韋駄天尊御堂について
 稲足神社(あきる野市)の飛び地境内地とされている。稲足神社の遷座・造営に尽力した実業家で元衆議院議員の野村専太郎翁が韋駄天尊を厚く崇敬し、御堂の復元にあたった由縁から、同社が神式にて祭祀することとなった。野村翁は、信仰心が厚く、東京都神社総代会長、神社本庁理事などを歴任した。御堂横には野村夫妻の像がある。
【鎮座地】
稲足神社鎮座地:東京都あきる野市菅生871番地
飛び地境内韋駄天尊御堂:東京都新宿区西新宿3-2-9
(令和3年8月寄稿)
  • 町田市
    町田天満宮
    神祇伯  資訓王書神額
     額の表面には「町田天満威徳天神」、裏面には「嘉永六年九月十三日/神祇伯資訓王謹書」とある。「天満威徳天神」は御祭神菅原道真公の神名の一つである。  揮毫者の神祇伯資訓王(すけのりおう)は、後に子爵となる白川資訓(1841〜19…
  • 杉並区
    天沼八幡神社
    頭山満「國體明徴」石碑
     同社鳥居脇に建立されている石碑。中央に「國體明徴」、向かって左脇に「頭山満」と刻まれている。  この碑は昭和14年建立であるが、元になった「國體明徴」の扁額は、昭和初期、頭山が天沼のさる貴人宅を訪問した折、同社を参拝し揮毫した…
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