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神社と神道の知識
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都内神社を訪れる旅へ
神社参拝の作法をご説明する動画をYouTubeにて公開中です。ぜひご覧ください。
生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
上皇陛下
父君の にひなめまつり
しのびつつ 我がおほにへの
まつり行なふ
上皇陛下
第百二十五代天皇
【ご誕生】
昭和八年十二月二十三日
【ご称号】
継宮(つぐのみや)
【お印】
榮(えい)
【譲位】 
平成三十一年四月三十日
悠紀殿・主基殿「供饌(きょうせん)の儀」
大嘗祭で最も重要な儀式は、その年に国内で採れた新穀を、天皇陛下御親らが皇祖・天神地祇に供し奉り、国家・国民の安寧と五穀豊穣に感謝し、また将来もそうなるよう祈られ、陛下御親ら新穀などをお召し上がりになる「供饌の儀」です。
まず悠紀殿(ゆきでん)において、悠紀地方の悠紀田で収穫された新穀を以て悠紀殿供饌の儀が執り行われ、続いて主基殿(すきでん)において主基地方の主基田で収穫された新穀を以て主基殿供饌の儀が執り行われます。
神饌の数々を行列を組んでお運びする行事を「神饌行立(しんせんぎょうりゅう)」と言い、筥(はこ)や土器に納められた新穀の米や粟、鮮魚、干物、菓子、果物、鮑汁漬、海藻汁漬、米と粟を煮た御飯、白酒(しろき)、黒酒(くろき)など日本全国の海川山野の品々が神々にお供えされます。
内陣で陛下御一人でなされる所作は知ることを望むことすら畏れ多い禁中の神秘でありますが、陛下が深夜遅くまで「国安らか民安らか」とお祈りになられる国家の重儀に皆様も心を寄せてお過ごし下さい。
神道知識の誘(いざな)ひ
大嘗祭(だいじょうさい)
大嘗祭は、天皇陛下が即位後初めて新穀を皇祖・天神地祇(てんしんちぎ)に供えられ、親(みずか)らも召し上がり国家・国民のためその安寧と五穀豊穣などを感謝し祈念される祭祀で御一代一度の特別な新嘗祭です。皇室の祭祀の中でも、古来最も重要なお祭りとされてきました。室町時代の公卿・一條兼良は著書『御代始抄(みよはじめしょう)』の中で「大嘗会は神代の風儀をうつす…」と述べております。上古さながらに設えた大嘗宮の御殿の内で世の中の平安と繁栄を祈られる古式ゆかしい厳粛なお祭りです。
今月の御大礼
【十一月十四日】
「大嘗祭当日神宮に奉幣の儀」・「大嘗祭当日賢所大御饌供進の儀」・「大嘗祭当日皇霊殿神殿に奉告の儀」
大嘗祭 大嘗宮の儀 「悠紀殿供饌の儀」

【十五日(未明)】
大嘗祭 大嘗宮の儀 「主基殿供饌の儀」
ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
瑞穂町
加藤神社
町旧跡
加藤塚
 御祭神である加藤丹後守景忠は甲斐武田氏の家臣であったが、武田氏が滅亡した天正10年(1582)に逃れてきたこの地で果てた。村民はその死を悼み直径11メートル、高さ1.5メートルの塚を築いて葬った。
 塚の上には周囲約8メートルの欅等の大木が茂っていたが、戦後航空障害と旧国道16号線の開通のために伐採された。さらに平成に至って道路拡幅に伴い、塚を社殿の裏手にあたる現在地に移し、社殿も新築した。これに伴い塚は町旧跡に改められた。現在の塚は直径6メートル、高さ70センチ。(町教育委員会掲示参照)
加藤神社について
 当社は、寛政年間(1790年代)、後裔が石塔を建てたことなどをきっかけに村民の間に信仰の念が深まり、八幡社と称して創祀された。明治35年に現社名に改称。
【鎮座地】東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎315
(平成30年11月寄稿)
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