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神社と神道の知識
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都内神社を訪れる旅へ
神社参拝の作法をご説明する動画をYouTubeにて公開中です。ぜひご覧ください。
生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
明治天皇
白雲の よそに求むな
世の人の まことの道ぞ
しきしまの道
明治天皇
第百二十二代天皇
【ご誕生】
嘉永五年九月二十二日(新暦十一月三日)
【ご称号】
祐宮(さちのみや)
【お印】
永(えい)
【ご陵所】 
伏見桃山陵
悠紀国(ゆきこく)と主基国(すきこく)
大嘗祭は、天皇陛下が即位後初めて新穀を皇祖・天神地祇(てんしんちぎ)に供えられ、親(みずか)らも召し上がり国家国民の安寧と五穀豊穣などを感謝し祈念される儀式です。この大嘗祭において、新穀を奉る地方を悠紀国と主基国と言い、「悠紀」とは「最も神聖で清浄である」、「主基」とは「次」という意味があります。現在では新潟、長野、静岡の線で、国内を東西に二分して、その三県を含む東側を「悠紀の地方」、それより西側を「主基の地方」と定め、亀卜によりそれぞれの都道府県が卜定されます。その後、卜定結果を宮内庁長官が天皇陛下に上奏して御裁可を仰ぎ、悠紀・主基両地方の勅定が下ります。
このようにして定められた悠紀・主基両斎田では、祓式の後、御鍬入れ式、播種式等が行われ、六月頃には御田植式が斎行され、以降十月まで、それぞれの地方の人々は、来るべき大嘗祭にたてまつるべき新穀を、数々の農耕儀礼を斎行しつつ、丹精をこめて稲作にご奉仕します。
神道知識の誘(いざな)ひ
斎田点定(さいでんてんてい)の儀
大嘗祭に新穀をたてまつる神聖な田のことを「斎田」といい、全国から選定された二個所に設けられ、それぞれ「悠紀田(ゆきでん)」「主基田(すきでん)」と呼ばれます。
その選定の儀「斎田点定の儀」は、宮中三殿の神殿の前庭において古代のままの亀卜(きぼく)の法【亀の甲を波々迦木(ははかぎ)に移した斎火(いみび)で焚き、その甲の亀裂によって悠紀・主基両地方を卜定(ぼくじょう)する方法】により神意を伺い斎田を決定します。
今月の祭日
【明治天皇例祭(三十日)】
宮中三殿のうち皇霊殿でお祭りが行われ、天皇陛下、皇后陛下、皇太子・同妃両殿下、皇族方が拝礼されます。伏見桃山陵においてもお祭りが行われます。
ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
文京区
富士神社【駒込富士】
区指定有形民俗文化財
掛軸
 この掛軸は三幅とも表具の仕様が同じで、同形の朱印(「官幣大社浅間神社久須志神社」印)が捺されていることから、御三幅(ごさんぷく)として使用されたと考えられる。富士講の祭壇で、中央に「御身抜(おみぬき)」、左に「小御嶽石尊大権現」、右に「富士山弥陀三尊二猿」の御影を掲げるもの。富士登山の際にも御三幅を講員が背負い、山頂で飾り拝んだ。中央と左の掛軸は区指定有形民俗文化財に指定されており、右の「弥陀三尊二猿」が一連の資料として平成30年に追加指定された。縦43.3センチ、横22センチ。
富士神社【駒込富士】について
 当社は本郷村の名主2名が天正元年(1572)駿河の富十浅間社を勧請したもので旧本郷村にあった。寛永6年(1629)加賀藩前田家が上屋敷を賜るにあたり、その地にあった浅間社はこの地に移転した。社伝によれば延文年間(1356~ 61)には既に現在の社地は富士塚と呼ばれ、一説によると前方後円の古墳といわれる。
【鎮座地】東京都文京区本駒込5-7-20
(平成30年7月寄稿)
  • 奥多摩町
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  • 府中市
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