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令和五年「生命の言葉」
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都内神社を訪れる旅へ
神社参拝の作法をご説明する動画をYouTubeにて公開中です。ぜひご覧ください。
生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
明治天皇
いそのかみ 古きためしを
たづねつつ 新しき世の
こともさだめむ
わが国の
古来より伝わる
先例のもとつ心を
探り求めながら
新しい時代の
さまざまなことも
定めてゆこう

『明治の聖代』(明治神宮)
神道知識の誘(いざな)ひ
大祓詞(おおはらへことば)
大祓詞とは、八百余字の祓(はらへ)の言葉です。日本書紀に中臣氏の祖先神であり天岩戸神話に登場する有名な天児屋命(あめのこやねのみこと)が「解除(はらへ)の太諄辞(ふとのりと)」を司ると記してあり、奈良時代以前より朝廷や各神社で唱えられています。その内容は、天皇の御祖先であられる皇御孫尊(すめみまのみこと)がお治めになられる豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)(日本)の中にあって人々が犯してしまう「社会秩序を乱す罪」「人の道に反する罪」「知らず知らずに犯せる罪」などを天津罪(あまつつみ)・国津罪(くにつつみ)としてそれらを祓い清めるために神々に贖物(あがなもの)(供物)を捧げて祈りなさいと説かれました。
そうすることによって、その罪・穢れは、祓戸大神等という神様たちのお働き、瀬織津比売(せおりつひめ)が早瀬より大海原に押し出し、潮境にいます速開都比売(はやあきつひめ)が罪・穢れを海深く呑みこみ、息吹戸主(いぶきどぬし)が根国・底国に吹き祓い、最後にすべての罪・穢れを速佐須良比売(はやさすらひめ)が打ち消し去ることで、私たちは神様に与えられた元の清浄な姿に立ち帰ることができるとしています。
六月の夏越大祓・十二月の年越大祓で神主と共に唱える大祓詞は罪穢れを形代(かたしろ)に託して身を浄め「睦(むつ)び和(なご)む」大和心に立ち帰る再生の祓詞(はらへことば)なのです。
ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
大田区
羽田神社
区有形民俗文化財
羽田富士塚
 明治元年、羽田の富士講・木花(このはな)講により、富士山を模して築かれ、羽田富士として信仰されている。現在、羽田青年連合会が清掃等の維持管理を担当している。
 登山道が設けられており、山頂には浅間神社が祀られ、山中には富士講の石碑、狛犬、大黒像などが建立されている。
 近年、崩落の危険性から一時登拝が禁止されていたが、令和元年から2年にかけて完全修築工事をおこない、石が積み直され、登拝が再び可能となった。
 例年7月1日には、「山開き」神事を斎行し、登拝の安全を祈願している。
 昭和49年2月、区有形民俗文化財に指定。
羽田神社について
 鎌倉時代に領主・行方与次郎(なめかたよじろう)が牛頭天王を祀ったのがその起こりとされる。江戸時代には、徳川家、島津家、藤堂家などに厚く信仰され、天保12年(1841)には、第13代将軍・徳川家定が疱瘡治癒祈願に訪れた。明治元年(1868)、八雲神社として独立。明治40年(1907)、羽田神社に改称された。羽田の氏神として空港関係者からも崇敬を集める。
【鎮座地】東京都大田区本羽田3-9-12
(令和4年6月寄稿)
  • 江東区
    亀戸天神社
    塩原太助(しおばらたすけ)奉納 石造燈籠
     塩原太助(1743〜1816)は、本所相生町(現在の両国付近)で薪炭商を営み、裸一貫から辛苦を重ね一代で富を築いた。その豊富な私財を道路の改修や土木工事など庶民の為に投じたことから義人として語り継がれ、「本所に過ぎたるものが二つ…
  • 杉並区
    八幡神社
    延宝七年銘 石造狛犬
     八幡神社本殿内に奉安されている安山岩の石造狛犬一対。高さ26センチメートル、幅26.5センチメートルの非常に小型の狛犬で片手でも持つことができる。年に一度、大祭日に一般公開される。  背から尾にかけて、「延宝七未年九月日八幡宮…
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