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令和四年「生命の言葉」
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神社と神道の知識
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都内神社を訪れる旅へ
神社参拝の作法をご説明する動画をYouTubeにて公開中です。ぜひご覧ください。
生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
夏目漱石
やろうと思わなければ
横に寝た箸を
竪(たて)にする事も出来ん
夏目漱石 (なつめ そうせき)
江戸牛込(現在の東京都新宿区)で生れる。本名は夏目金之助。明治末期から大正初期にかけ活躍した近代日本を代表する小説家。東京帝国大学英文学科卒業後、愛媛県松山市尋常中学校に英語科教師として赴任。その時の経験が後の『坊ちゃん』の執筆に繋がったのは有名。他に代表作として『我輩は猫である』『倫敦塔』『三四郎』など多数。
神道知識の誘(いざな)ひ
拍手(はくしゅ/かしわで)
拍手とは、神様を拝むとき、両手を合わせて音を立てる作法です。音を立てる際、二回、四回、八回と作法により鳴らす数に違いがありますが一般の神社祭式では二拝二拍手一拝と二回打つことで知られています。
三回以下の拍手は、短拍手、短手(みじかて)と呼び、四回以上手を打つものを、長拍手、長手などと呼びます。また神酒をいただく際に一回だけ手を鳴らしますが、これは礼手(らいしゅ)と言われる作法です。また伊勢神宮のように八回鳴らすものもあります。これは八開手(やびらて)と言い古くから最も重い拍手の作法と伝わっています。その他にも神葬祭(しんそうさい)など葬儀の場では拍手を打つ際に音をたてないようにします。これを忍手(しのびて)と言います。
本来、拍手で音を立てる理由は、喜びや歓喜の気持ちを表すためといいます。そのため、故人を悼み偲ぶときに音を出さずに忍手を打ちます。
『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』には、邪馬台国の風習として、倭人は貴人に対して手を打って敬意を表したと記されています。神様や貴い人に相対したときに喜びを表し拍手を打つ作法は、日本の古い伝統です。
今月の祭日
【文化の日(三日)】
本来は「明治節(明治天皇のご生誕日)」。自由と平和を愛し、文化を進める日。

【勤労感謝の日(二十三日)】
本来は「新嘗祭(五穀豊穣に感謝する祭り)」の日。勤労を尊び、収穫・生産を祝い感謝する日。
ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
荒川区
石濱神社
区登録有形文化材(建造物)・区指定有形文化財(歴史資料)
石濱神社
摂社・麁香(あらか)神社
 石濱神社本殿隣の摂社・麁香神社は、手置帆負命(たおきほおいのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)の二柱を奉祀し、安永8年(1779)の8月8日に鎮座。家屋敷の土台の守り神、さらに大工の祖神、工匠守護の神とされる。神社のご祭神としては珍しく、江戸時代末期以来、建築関係者の厚い信仰を集めた。
 境内には、「日本大工祖神」など麁香神社を称える石碑が複数建立されている。
 麁香神社社殿は区登録有形文化材(建造物)、関連石碑などは区指定有形文化財(歴史資料)。社殿そのものは、拝殿裏のため直接参拝できないが、石碑は境内にあり自由に拝観可能。
石濱神社について
 本殿のご祭神は天照大御神と豊受大御神。聖武天皇の神亀元年(724)9月11日、勅願により鎮座。文治5年(1189)、源頼朝の奥州征討に際して社殿を寄進されるなど、鎌倉時代には大社として発展し、関東武将の信仰を集めた。石浜神明宮、朝日神明宮とも称された。明治5年、郷社に列格。本殿は昭和12年、拝殿は昭和63年に落成した。
【鎮座地】東京都荒川区南千住3-28-58
(令和3年11月寄稿)
  • 北区
    七社(ななしゃ)神社
    渋沢栄一翁揮毫の社号額
     「日本近代資本主義の父」と称えられる渋沢栄一翁は、明治12年、七社神社の氏子区域である西ヶ原村に別荘・飛鳥山邸を構え、明治34年にはその飛鳥山邸を本邸とし、同社の氏子となった。信仰心の篤い渋沢翁は、本殿、拝殿、社務所の各種造営事…
  • 墨田区
    秋葉神社
    石燈籠
     秋葉神社境内には、江戸時代の老中、寺社奉行、勘定奉行などの幕府要職を務めた大名・旗本らが寄進した石燈籠七基が現存し、そのうち六基が区登録有形文化財(歴史資料)になっている。  社殿造営にも携わった上州沼田城主・本多正永(ほんだ…
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