東京都神社庁は、東京都内にある1,398の神社を取りまとめている団体です
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令和五年「生命の言葉」
新着情報
令和5年9月1日
ご社宝めぐりに「力石」(鐵砲洲稲荷神社)を掲載しました。
令和5年9月1日
生命の言葉「令和五年九月」を掲載しました。
令和5年8月1日
ご社宝めぐりに「小金井神社 本殿」(小金井神社)を掲載しました。
令和5年8月1日
生命の言葉「令和五年八月」を掲載しました。
令和5年7月1日
ご社宝めぐりに「陶栄神社」(濱町神社 境内社)を掲載しました。
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生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
令和五年九月
西郷隆盛
徳に勤むる者は
これを求めずして
財おのずから生ず
誠実な姿勢と言動
人を思いやる心と行動
これら徳を積むことを
心掛けている人には
自然と財力が
生じるものである
『西郷言行録』
西郷隆盛
幕末維新期、薩摩出身の武士、政治家。戊辰戦争では薩摩藩の軍事を指揮し、江戸城無血開城を実現させた。明治四年、参議に就任するが政府首脳と衝突して下野。明治十年、西郷が設立に携る私学校の生徒が起こした事件を発端に擁せられ、西南戦争へと発展。政府軍と戦うも敗れ、九月二十四日鹿児島県城山にて腹心に介錯を頼み自害した。
◎
神道知識の誘(いざな)ひ
重陽(ちょうよう)の節供(せっく)
九月九日は一般に「菊の節供」と呼ばれていますが、古くより「重陽の節供」と言います。古来中国では奇数はよいことを表す陽数とし、その中でも一番大きな陽数『九』が重なる九月九日を、陽が重なると書いて「重陽」と定め、不老長寿や繁栄を願うようになりました。平安の頃には菊花を浮かべた菊花酒を飲み、菊花に綿をかぶせ菊の生気の染み出た綿で身体を拭って不老長寿を願う「菊綿(きくわた)(菊の被綿(きせわた))」など菊にまつわる雅な風習も栄えました。他にも、この日に栗を贈る習慣から「栗の節供」と呼ぶ地域もあります。
今月の祭日
【秋季皇霊祭/しゅうきこうれいさい(秋分の日)】
宮中三殿のうち皇霊殿において、歴代天皇・皇族の御霊へのお祭りが行われます。
天皇皇后両陛下をはじめ皇族方がこ拝礼なされます。
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ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
中央区
鐵砲洲稲荷神社
区民有形民俗文化財
力石
力石は、かつて若者たちが力試しや力比べで持ち上げていたもので、神社境内など人が集まるところに置かれていた。
社殿向かって右側の力石2個は、長らく境内の木の下に埋められていたもので、昭和20年頃発見され、神社にて保存することとなった。百数十キログラムの重さで江戸時代の享保19年(1734)頃のものとされる。
また、同社境内末社の富士浅間神社・富士塚内にも力石が埋め込まれている。石には、地元の富士講の印などが刻まれており、富士講関係の記念碑の意味も有する。
鉄砲洲周辺の貴重な民俗資料として、平成5年4月1日、区民有形民俗文化財に境内2ヶ所の力石がそれぞれ登録された。(中央区HPの該当文化財紹介コーナー参照)
鐵砲洲稲荷神社について
平安初期の仁明天皇の御代である承和8年(841)4月15日に創祀。当時、冷害凶作が続いており、江戸湾海岸櫻田村の住民が、宇迦之御魂の大神を祀ることにより、豊年に恵まれ、厚く崇敬された。寛永元年(1624)、現在地の鉄砲洲に遷座。江戸時代、鐵砲洲の湊が物資流通の拠点となり、船乗人の海上守護の神として広く信仰を集めた。
【鎮座地】東京都中央区湊1-6-7
(令和4年9月寄稿)
鐵砲洲稲荷神社のページへ
小金井市
小金井神社
小金井神社 本殿
同社本殿は、宝暦年間(1751~1764)の造営と伝えられ、本殿内のご神像は、宝暦元年の彫刻とされる。小金井市内現存最古の神社建築と推定されている。 一間社入母屋造の社殿で向拝軒に唐破風が付いており、屋根はこけら葺きである。…
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中央区
陶栄神社
濱町神社本殿の前方に西面して鎮座する境内社。陶器・陶芸の神として埴安大神、加藤四郎左衛門景正命、加藤民吉命の三柱が祀られている。 御祭神の加藤四郎左衛門景正命は鎌倉時代の陶工で瀬戸焼の祖とされ「陶祖」、加藤民吉命は江戸時代の…
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大田区
羽田神社
羽田富士塚
明治元年、羽田の富士講・木花(このはな)講により、富士山を模して築かれ、羽田富士として信仰されている。現在、羽田青年連合会が清掃等の維持管理を担当している。 登山道が設けられており、山頂には浅間神社が祀られ、山中には富士講の…
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