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令和六年「生命の言葉」
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神社と神道の知識
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生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
老子
知る者は言わず
言う者は知らず
老子
紀元前六世紀の人物とされ、古代中国の哲学者。その著書を『老子』あるいは『老子道徳経』などという。後世、道教の始祖として神格化されたが、事跡はほとんど不明である。
神道知識の誘(いざな)ひ
供える心
神様へのお供えというと一般的に「神饌(しんせん)」をさします。お米、御神酒(おみき)、お塩、お水がお供え物の代表ですが、お祭りによっては魚や野菜、果物など様々なものをご神前にお供えします。
お供えするものには「その時の旬のもの」が良いといわれることがあります。その時期に収穫された農作物や海産物など、それぞれの季節の恵みに感謝する心で神様にお供えをします。また、こ馳走(ちそう)という言葉の語源には、「あちこち駆け回る」という意味があり、大事なお客様(神様)に喜んでいただく為に色々と努力してきたことが転じて、その成果としての食べ物をさすようになりました。お供えするものも必ずしも食べ物に限らず、「香り(香道)」や「彩り(華道)」のお供えや「音楽」「お神楽」などの芸能も「御奉納」としてお供えされてきました。
これらは全て神様に対して自分たちができる「感謝の気持ち」を形に表したものといえます。
人生の節目やお祝い事に際して「感謝の形」をご神前に捧げてみてはいかがでしょうか。
今月の祝日
【スポーツの日(十四日)】
昭和三十九年十月十日東京オリンピック開催を記念した「体育の日」の名称が改められました。
スポーツに親しみ、健康な心と身体をつくることに心がけましょう。
ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
日野市
八坂神社
弁財天像と青面金剛しょうめんこんごう
 記録には、元禄14年(1701)に、牛頭天王社(現・八坂神社)の境内に末社が建てられ、江ノ島より弁財天を勧請、弁財天像一尊が寄附された、とある。
 また、青面金剛像は疫病除けとして庚申信仰の本尊とされたもので、元文5年(1740)、日野の庚申講中が奉納したもの。
 いずれも神仏混淆時代に納められた仏像で、現在は境内にある八幡社に納められている。
 なお、八幡社は、享保18年(1733)、日野の住民によって鶴岡八幡宮から御分霊を奉遷し、境内地に八幡宮として建立されたのが起源。大正12年(1923)に、同じく境内にあった厳島神社がこの八幡社に合祀された。
 江戸時代、日野は幕府の直轄地で諸役が免除され、有数の穀倉地帯であった。農家に経済的な余裕があったことから、たびたび寺社の勧請や社殿の再建、神像・仏像の奉納などが行われ、47の神社と48の寺院が維持されていたという。この二体の像も、そうした豊かな日野の人々の信仰心の顕れとして大切に保存されている。
八坂神社について
 ご創建の年代は不詳。御祭神は素盞嗚尊。むかし日野本郷の多摩川の流れに沿って土淵という深淵があり、それでこの付近を土淵の庄といった。あるとき多摩川洪水の後、数夜にわたってその淵に何か怪しい光るものがみえたという。里の老翁がこれを拾い上げたところ、金色燦然とした牛頭天王の神像であったため里人は歓喜してこれを勧請し、祠を建立、鎮守として祀ったのが起源。五穀豊穣・疫病除け・子孫繁栄に霊験無双の神とされる。
【鎮座地】東京都日野市日野本町3-14-12
(令和5年10月寄稿)
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