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神社と神道の知識
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都内神社を訪れる旅へ
神社参拝の作法をご説明する動画をYouTubeにて公開中です。ぜひご覧ください。
生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
坂 静山
怠らず 行かば千里の
末(すえ)も見ん 牛の歩みの
よし遅くとも
牛の歩みのように
たとえゆっくりでも
怠らず続けていけば
遠い道のりでも
たどり着くことができる
坂 静山 (ばん せいざん)
尾張(愛知県)出身。江戸前期から中期に活躍した歌人。
京都公家烏丸光雄(からすまる みつお)に二条流和歌を学び「和歌継塵集(わかけいじんしゅう)」などを著した。なお、「坂」は「阪」とも書き、「さか」とも読む。門人には和歌に風刺や皮肉を織り込んだ「狂歌(きょうか)」を流行させた内山賀邸(うちやま がてい)や平秩東作(へづつ とうさく)などがいる。
神道知識の誘(いざな)ひ
参道(さんどう)の中央
参道の中央は「正中(せいちゅう)」や神様の通り道なので避けるべきと言う人がいます。本来「正中」とは社殿内・祭場内で御神座の真正面の事を言い、参道に「正中」や神様の通り道はありません。
どのような道でも中央を歩くことは慎しむべきです。武士は刀がぶつかり合う事を避けたので日本では左側通行になったと言われています。神様の鎮まる所へと進む「参道」を歩くのであれば自然と中央を避けて歩く謙虚な気持ちとなる事でしょう。こういった習慣は大事にしたいものです。
今月の祝日
【憲法記念日(三日)】
昭和二十二年の日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日。

【みどりの日(四日)】
自然に親しむとともに、その恩恵に感謝し豊かな心をはぐくみましょう。

【こどもの日(五日)】
子どもの人格を重んじ、子どもの幸福をはかるとともに、父母に感謝しましょう。
ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
港区
氷川神社【赤坂氷川神社】
幕末三舟掛軸「氷川神社」
 赤坂氷川神社には、勝海舟・高橋泥舟・山岡鉄舟がそれぞれに「氷川神社」と記した掛け軸が所蔵されている。
 勝海舟は幕末の動乱期にこの地に屋敷を構えており、赤坂の地とは縁が深く、維新後、徳川家に従って駿府に移った後も、明治5年(1872)から晩年まで氷川町十番地に2300坪余の邸宅を構えている。
 高橋泥舟は旗本山岡家の出身で、将軍徳川慶喜に近侍し、鳥羽・伏見の戦い敗戦後は寛永寺や水戸に謹慎した慶喜の護衛を務めている。徳川家が駿府に封じられると同藩藩士となり、廃藩置県後は東京に戻って隠棲した。
 山岡鉄舟は江戸城無血開城に立ち合い、維新後は新政府に出仕し、明治5年から同10年まで明治天皇の侍従を務めた。鉄舟は剣や書の達人として知られ、ここには「正四位山岡鉄太郎拝書」と書かれていることから、正四位に叙任され晩年を過ごした明治15年以後のものと考えられる。
氷川神社【赤坂氷川神社】について
 天暦5年(951)武州豊島郡一ツ木村(人次ヶ原)に祀られ、平安時代以来の歴史を有する。治暦2年(1065)、関東に大旱魃が発生、降雨を祈願するとそのしるしがあり、以来よく祭事が行われた。江戸時代に入り、幕府の尊信は篤く、8代将軍徳川吉宗公が享保元年(1716)、将軍職を継ぐに至り、老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(忠臣蔵・浅野内匠頭の夫人、瑶泉院の実家・浅野土佐守邸跡)に現社殿を建立、翌15年(1730)4月26日に遷座が行われ、28日に将軍直々の参拝があった。以降、14代家茂公まで、歴代将軍の朱印状(港区文化財)が下附された。
【鎮座地】東京都港区赤坂6-10-12
(令和2年5月寄稿)
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