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令和三年「生命の言葉」
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神社と神道の知識
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都内神社を訪れる旅へ
神社参拝の作法をご説明する動画をYouTubeにて公開中です。ぜひご覧ください。
生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
吉田松陰
人生草露(そうろ)の如し
辛艱(しんかん)何ぞ虞(おそ)るるに足らん
人生は草についた露のようにあっという間に終わってしまう
辛いことや困難なことを恐れている時間などどうしてあろうか
『五十七短古』
吉田松陰 (よしだ しょういん)
吉田松陰は幕末の思想家、教育者。
欧米列強が植民地政策を推し進める中、日本と欧米との国力差を痛感する。日本の将来を危惧し、西洋文明を学ぼうと海外渡航を企てるも失敗し投獄される。出獄後、松下村塾という私塾を主宰し明治維新の原動力となった高杉晋作、伊藤博文など多くの志士を輩出した。
神道知識の誘(いざな)ひ
むすび
古事記の中で「産巣日(むすひ)」と表記される「むすび」は、特別な意味があります。産巣日は高天原(たかまのはら)に二番目に誕生した高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と、三番目に誕生した神産巣日神(かみむすひのかみ)の名にあり、万物を生成する霊なる神という語意があります。
苔むす、縁結びのように、何かを生み出す場合にも使われます。おみくじを「結ぶ」という行為もご神縁を結び、効力を生み出す行為です。また食べる「おむすび」も意味があります。おにぎりは形に決まりがないですがおむすびは三角形。古来日本人は山を神格化し、御飯を山形にすることで神霊の力を授かろうとしたのです。
ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
品川区
品川神社【北の天王社】
天下一嘗の面
てんかひとなめのめん
(国常立尊面・赤面(あかめん)さま)
 慶長5年(1600)、徳川家康公が関ヶ原の戦いに出陣の際に戦勝を祈願され、合戦の後、勝利の御礼としてこの面を奉納された。もとは舞楽の演目の「二の舞」に用いられる面で、室町時代中期に作られたとみられる。江戸時代中頃の疫病が流行したある年のこと、「この面を神興に付け町々を廻れば苦しみから救うぞ」との神様のお告げがあり、以来、6月の例大祭ではこの面をお神輿につけて渡御し、無病息災・幸福招来が祈願される。
品川神社【北の天王社】について
 文治3年(1187)、源頼朝公が海上交通の安全と祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請し、品川大明神と称した。元応元年(1319)、北条高時の臣・二階堂貞藤(道蘊)が、産業の守護神として、宇賀之売命を勧請し、社地を吉端岡(よしはがおか)と名付けた。文明10年(1478)6月、太田道灌が、風水害、疫病、歌謡の守護神として、素盞嗚命を勧請し6月の天王祭が始まる。明治元年(1868)には「准勅祭社」と定められた。大東亜戦争の折は、幸いにして戦火を免れたが、社殿の老朽化が進み、昭和39年(1964)、現在の社殿が再建された。東海道北品川宿の鎮守である。
【鎮座地】東京都品川区北品川3丁目7-15
(令和2年10月寄稿)
  • あきる野市
    子生(こやす)神社
    本殿
     江戸時代後期の弘化4年(1847)の建築で、構造は一間社流れ造である。屋根は薄い板を重ね合わせた「こけら葺」と呼ばれる葺き方で、軒唐破風と千鳥破風が付けられている。扁額や彫刻に記された文字から、大工「高階菊治郎邦直」や彫工「小川…
  • 練馬区
    氷川神社【石神井の氷川さま】
    山本瑞雲作欄間一対
     写真は令和2年春竣工した儀式殿玄関ホールに設けた衝立(高さ1.45メートル、幅2.1メートル)である。作者の山本瑞雲は木彫刻家・高村光雲の高弟で、現・奥野雅司宮司の曽祖父にあたる。  瑞雲の作品は戦禍で多くが焼失したが、台湾に…
  • 葛飾区
    葛西神社
    鍾馗石像
     葛西神社の鍾馗(しょうき)石像は、元禄8年 (1695)、金町村の念仏講が建立したもの。立像を浮き彫りにした形式で、地上高111センチ、像高72センチ、幅42センチ、奥行29センチ。右手には剣を持ち、左手には小鬼を掴んでいる。像…
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