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神社と神道の知識
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都内神社を訪れる旅へ
神社参拝の作法をご説明する動画をYouTubeにて公開中です。ぜひご覧ください。
生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
皇后陛下
大君の 母宮の愛でし
御園生(みそのふ)の 白樺冴ゆる
朝の光に
― 平成三十一年歌会始お題「光」

東宮御所の白樺
上皇上皇后両陛下に捧げる感謝の御歌

天皇皇后両陛下が平成の時代をお過ごしになられた東宮御所のお庭には、上皇上皇后両陛下が昭和時代をお過ごしになられた際に、慈しまれ大切にお育てになられた、上皇后陛下のお印(しるし)の白樺の木立があります。
この御歌はそのような白樺の木々が、朝の光をうけて白く輝いている様子を、この美しいお庭の景色を御覧になりながら二十数年間過ごしてこられたことへの感謝のお気持ちを込めて、お詠みになられたものです。
神道知識の誘(いざな)ひ
七五三(しちごさん)
七五三の起源は平安時代の公家の習慣に遡ります。当時は幼児の生存率が低く、特定の年まで命を繋ぎとめてくださったことを神様・御先祖様へ感謝し家族で祝う儀式として行われ、その後武家社会にも広がっていきました。七五三とは三つの儀式の総称で、古くは「髪置(かみおき)」「袴着(はかまぎ)」「帯解(おびとき)(紐解/ひもとき)」といいました。
髪置は三歳男女児がもう赤ん坊ではないという意味から、今まで剃っていた髪を伸ばし始める祝儀。袴着は五歳男児が初めて袴を着ける祝儀。帯解は七歳女児が、着物の付け紐を帯に替える祝儀です。五代将軍徳川綱吉の子、徳松の健康を祝う儀式を天和元年十一月十五日に行ったことにあやかり庶民もその日にお祝いするようになったといわれています。
現在では、十一月十五日に神社へ参拝し、神様に子供の成長と健康を感謝し、今後の更なるご加護を祈願する儀礼となりました。尚、本来は数え年で祝いますが、最近では満年齢で祝う割合が高くなり、参拝の日取りも十一月十五日に拘らず、その前後の都合の良い日に参拝する傾向が強くなってきています。
ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
墨田区
高木神社【第六天】
区登録文化財
山玉向島講社の碑
やまたまむこうじまこうしゃのひ
 山玉向島講社はかつて向島地域にあって、江戸時代後期に成立した富士講の一つである。この碑はその山玉向島講社の人々により明治31年(1898)9月に建立され、大正期には講員が100名以上であったと推定されている。
 本碑には、正面に山玉向島講社の講印が彫刻され、その中に「廿三夜」と刻まれている。また、裏面には建立にかかわった世話人16名の名が居住地別に刻まれ、建立当時の講社に先達、講元などの役割があり、当時の中心メンバーが須崎、中之郷、寺島の住人で構成されていたことを示している。16名のうち、碑銘彫刻師として知られる三代目宮亀年(元宮為吉)が名を連ねており、碑刻者と推定される。
 近代の区内における信仰と地域の結びつきの広がりが分かる文化財として、平成23年に「区登録文化財」に指定されている。
高木神社【第六天】について
 応仁2年(1468)、室町時代の創祀と伝えられており、旧寺島新田の鎮守として尊崇され、古くは「第六天社」と呼ばれていた。明治時代初期の神仏分離の制度で「高木神社」と改めた。その社名は、御祭神である高皇産靈神の別名が「高木の神」であるからといわれている。かつては、境内に大きな臥龍の松があり、曳舟川を上下する舟をはじめ、地域の人々の往来の目印となっていた。
【鎮座地】東京都墨田区押上2-37-9
(令和元年10月寄稿)
  • 新宿区
    須賀神社【天王様】
    三十六歌仙繪
     三十六歌仙は、平安時代中期の公卿・藤原公任が、過去及び同時代の優れた歌人36名を選定したもので、万葉歌人から柿本人麿・山部赤人・大伴家持の3名が、平安時代前期の「古今和歌集」「後撰和歌集」等から紀貫之・在原業平・小野小町ら33名…
  • 葛飾区
    冨士神社
    板絵着色 富士講図絵馬額
     この絵馬は、当時の「丸か講」(富士講)の「お焚き上げ」の行事を具象的に現しており、当時の富士信仰の様相を窺うことができる。左半面に富士塚、右半面に拝殿が描かれ、拝殿でお焚き上げの行事をする富士講の信者の姿が緑白色の雲形の中に浮か…
  • 八王子市
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    子安神社の湧水
     この湧水は古くから「明神様の泉」として親しまれ、生活に利用されてきた。かつては池から流れ出た水が田を潤し、撚糸(ねんし)業を営む家ではこの水の流れを利用して水車を回していた。神社内の川戸と呼ばれる水場は、現在も農家が野菜を洗うな…
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