東京都神社庁は、東京都内にある1,398の神社を取りまとめている団体です
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令和八年「生命の言葉」
新着情報
令和8年8月1日
ご社宝めぐりに「吉原観音像」(吉原神社)を掲載しました。
令和8年8月1日
生命の言葉「令和八年八月」を掲載しました。
令和8年7月1日
ご社宝めぐりに「紙本淡彩 道祖神祭図」(亀戸香取神社)を掲載しました。
令和8年7月1日
生命の言葉「令和八年七月」を掲載しました。
令和8年6月1日
ご社宝めぐりに「獅子舞」(六郷神社)を掲載しました。
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生命の言葉
神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」
令和八年八月
福澤諭吉
努力は天命さえも変える
天命とは身に備わってしまって変えようにも代えられない運命のこと。しかし、努力をすればそれすら変えることが出来る。努力することの大切さを訴えている。
福澤諭吉
一八三五(天保五)年に大坂の中津藩蔵屋敷で、福澤百助(ひゃくすけ)の次男として生まれた。一四、五歳より儒学者白石照山(しょうざん)の塾に入り、一九歳の時蘭学を志して長崎に遊学、翌年からは大坂の緒方洪庵(こうあん)の適塾(てきじゅく)(正式名称:適々斎塾(てきてきさいじゅく))で猛勉強に励んだ。二三歳には、藩命により江戸の中津藩中屋敷に蘭学塾を開く。二五歳で渡米。以後、ヨーロッパ諸国も歴訪し、社会の制度や考え方などに旺盛な好奇心で見聞を広めた。一八六八(慶應四)年、三三歳の時、江戸・築地の蘭学塾を芝(港区)に移して、当時の年号にちなみ「慶應義塾」と名付け設立した。その後『西洋事情』『学問のすゝめ』『文明論之概略』などを続々と著し、当時の日本人に西洋文明の精神を伝えた。
今月の祭日
【八月十五日】
都内戦災・震災殉難者慰霊祭【於:東京都慰霊堂】
御霊の平安を祈念します。皆様のご参列をお待ちしております。
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ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
台東区
吉原神社
吉原観音像
吉原神社から徒歩一分の場所に飛び地境内末社として吉原弁財天本宮(もとみや)が鎮座しており、その社の傍らに吉原観音像がある。
大正12年(1923)に発生した関東大震災において、境内に避難していた多くの人々が火災の渦に巻き込まれて焼死し、また境内にある弁天池に飛び込んだ人も溺死するなどして約五百名の尊い命が失われた。
翌年の9月1日、弁天池にて犠牲者を弔う法要が営まれ、さらに大正15年6月に池のほとりに慰霊のための観音像が建立された。台座には大震火災殃死者追悼記念碑と刻まれている。
以来、毎年9月1日に神職、町会関係者が参列して慰霊法要が執り行われ、今日も日々の祈りが変わらず捧げられている。
吉原神社について
吉原神社は、かつての吉原遊廓にお祀りされていた5つの稲荷社(九郎助稲荷・吉徳稲荷・榎本稲荷・明石稲荷・開運稲荷)が明治14年に合祀され、総称として現社名となる。関東大震災、昭和20年の東京大空襲と2度の被災を経て、昭和43年に現社殿が造営され現在に至る。吉原弁財天は昭和9年に現在の地に遷座した際に合祀されたが、観音像は元来の鎮座地である本宮(もとみや)の境内地にある。
【観音像鎮座地】東京都台東区千束3-22-3
(令和7年8月寄稿)
吉原神社のページへ
江東区
亀戸香取神社
紙
(
し
)
本
(
ほん
)
淡
(
たん
)
彩
(
さい
)
道祖神祭図
歌川広重の筆。軸に仕立てられた道祖神祭の様子を描いている。 道祖神祭は、江戸中期、享保(1716~1736)の頃から毎年正月14日に行われ、氏子の子供たちが宝船を担いで亀戸から両国あたりまで練り歩いたとされる。この神事は『江…
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大田区
六郷神社
獅子舞
この獅子舞は例大祭で行われる三匹獅子舞で、地域の小学校に通う3年生から6年生までの子どもたちによって演じられることから「子ども獅子舞(子ども神獅子舞)」とも呼ばれる。このような獅子舞は都内でも複数みられるが、少年たちが演じる獅子…
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渋谷区
鳩森八幡神社
将棋堂
昭和61年、当時、日本将棋連盟(以下将棋連盟)会長であった大山康晴十五世名人らより高さ1メートル20センチにも及ぶ欅材の大駒が奉納された。これを安置するために御堂が建立され、将棋堂と名付けられた。 将棋堂は天地四方を表す六角…
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