葛飾区
白髭神社
葛飾区登録有形文化財
板絵着色武者図絵馬 一対

弁慶牛若丸図と川中島合戦における上杉謙信・武田信玄対決の図の絵馬額一対である。前者は上下に金地の雲形が入り、左に跳躍する牛若丸、右に薙刀をもつ弁慶が対峙する図で、背後には五条の橋と思われる欄干が描かれている。
後者も上下に金地の雲形が入り、背後は松が描かれ、右に馬上にある謙信、左に軍配をもつ信玄が対峙する図となっている。
ともに武者絵馬の代表的な画題で、「奉納願主南澤□衛 安政三丙辰」と思しき墨書が見え、加えて後者には「諸願成就」と書かれている。
願主の詳細は明らかでないが、神社の旧称である客人大権現への近世の多様な信仰を伝えるものとして、平成7年(1995)に葛飾区登録有形文化財に指定されている。
後者も上下に金地の雲形が入り、背後は松が描かれ、右に馬上にある謙信、左に軍配をもつ信玄が対峙する図となっている。
ともに武者絵馬の代表的な画題で、「奉納願主南澤□衛 安政三丙辰」と思しき墨書が見え、加えて後者には「諸願成就」と書かれている。
願主の詳細は明らかでないが、神社の旧称である客人大権現への近世の多様な信仰を伝えるものとして、平成7年(1995)に葛飾区登録有形文化財に指定されている。
白髭神社について

創建年代は詳らかでないが、旧別当観正寺は延徳3年(1491)建立と伝わり、古い申し伝えでは、鎮座は貞観2年(860)とも治承年間(1177~1181)とも伝わる。
江戸期に「葛西の客人大権現」と称され、江戸市中の遊郭や水茶屋をはじめ、芝居関係、商人・仲買人、料飲業関係などの参詣者が遠近より雲集したとのことであり、境内の鳥居、灯篭、手水舎等にそのおもかげを遺している。
明治初年には客人社、三社神社、澁江神社と社号が変遷したが、明治5年(1872)に白髭神社と改めた。社殿は嘉永元年(1848)のご造営で大正5年(1916)高欄を建設、さらに平成5年(1993)には瓦葺から銅板葺に改められた。
江戸期に「葛西の客人大権現」と称され、江戸市中の遊郭や水茶屋をはじめ、芝居関係、商人・仲買人、料飲業関係などの参詣者が遠近より雲集したとのことであり、境内の鳥居、灯篭、手水舎等にそのおもかげを遺している。
明治初年には客人社、三社神社、澁江神社と社号が変遷したが、明治5年(1872)に白髭神社と改めた。社殿は嘉永元年(1848)のご造営で大正5年(1916)高欄を建設、さらに平成5年(1993)には瓦葺から銅板葺に改められた。
【鎮座地】東京都葛飾区東四つ木4-36-18
(令和6年9月寄稿)
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