港区
高輪神社
高輪太子宮 石門

高輪太子宮は古くは太子堂と呼ばれた。江戸時代は聖徳太子を崇敬する太子信仰が盛んで、府内各所で太子講が結成されており、この石門は文政10年(1827)7月に江戸石工組合によって寄進されたものである。
石門の左右の彫刻は唐代の故事集『蒙求』の一節「周処三害」に記された虎退治と大蛇退治の場面。周処という乱暴狼藉を働く若者が、南山に住む白い額の猛虎、舟人を襲う大蛇と並んで自らも村の「三害」と恐れられていたことを知ると、猛虎と大蛇を退治し、志を立てて更生した。結果、猛虎・大蛇・周処の三害が滅ぼされたという。
彫刻は名工熊山並びに紅葉川住石田屋知卜両人によるもので、多くの鑑賞者が各地から訪れている。
石門の左右の彫刻は唐代の故事集『蒙求』の一節「周処三害」に記された虎退治と大蛇退治の場面。周処という乱暴狼藉を働く若者が、南山に住む白い額の猛虎、舟人を襲う大蛇と並んで自らも村の「三害」と恐れられていたことを知ると、猛虎と大蛇を退治し、志を立てて更生した。結果、猛虎・大蛇・周処の三害が滅ぼされたという。
彫刻は名工熊山並びに紅葉川住石田屋知卜両人によるもので、多くの鑑賞者が各地から訪れている。
高輪神社について

高輪神社は高輪の総鎮守。元は稲荷社と称し、御創建は明応年間(1492~1501)。境内社にある高輪太子宮は古くは太子堂と呼ばれ、聖徳太子御自作と伝えられる太子16歳の御尊像が江戸時代前期明暦年間(1655~58)に当所に安置された。祭礼日は5月22日。
【鎮座地】東京都港区高輪2-14-18
(令和6年10月寄稿)
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