千代田区
三崎稲荷神社
千代田区有形民俗文化財
水盤
水道橋駅前に鎮座する三崎稲荷神社境内には、手水舎とは別に古い水盤が置かれている。
材質は安山岩で、上部から下部に向かってわずかに窄(すぼ)んでいる。上面はタライ状に彫られて水をたたえ、正面には「奉獻」と楓の紋が刻まれている。文化5年(1808)3月に、神田久右衛門町(現・千代田区岩本町)の福島屋久治郎と神田新銀町(現・千代田区神田司町および多町)の福島屋小七により奉納された。
天保5年(1834)に刊行された『江戸名所図会』にある三崎稲荷社境内に同一の形状の水盤がみられ、奉納時から二百年余りこの地にあると考えられる。
関東大震災と昭和20年4月の空襲、二度にわたり当社が灰燼に帰した中でも、この水盤は奇跡的に残り、平成26年には千代田区の有形民俗文化財に指定された。
材質は安山岩で、上部から下部に向かってわずかに窄(すぼ)んでいる。上面はタライ状に彫られて水をたたえ、正面には「奉獻」と楓の紋が刻まれている。文化5年(1808)3月に、神田久右衛門町(現・千代田区岩本町)の福島屋久治郎と神田新銀町(現・千代田区神田司町および多町)の福島屋小七により奉納された。
天保5年(1834)に刊行された『江戸名所図会』にある三崎稲荷社境内に同一の形状の水盤がみられ、奉納時から二百年余りこの地にあると考えられる。
関東大震災と昭和20年4月の空襲、二度にわたり当社が灰燼に帰した中でも、この水盤は奇跡的に残り、平成26年には千代田区の有形民俗文化財に指定された。
三崎稲荷神社について

社伝によると仁安年間(1166~1169)に御創建。当時の神田山(現・駿河台)の山麓(現・本郷一丁目)武蔵国豊島郡三崎村に鎮守の社として祀られたとされる。
江戸時代、参勤交代の制度が定められた折、諸大名に参詣を推奨。そのため、参勤登城の諸大名は当社へ参拝し身を清めたことから「清めの稲荷」とも称された。「旅の安全祈願」で信仰され、白瀬矗(のぶ)を隊長とする我が国初の南極探検隊がみな当社のお守りを持って出発し、御加護により無事帰国した。
江戸時代、参勤交代の制度が定められた折、諸大名に参詣を推奨。そのため、参勤登城の諸大名は当社へ参拝し身を清めたことから「清めの稲荷」とも称された。「旅の安全祈願」で信仰され、白瀬矗(のぶ)を隊長とする我が国初の南極探検隊がみな当社のお守りを持って出発し、御加護により無事帰国した。
【鎮座地】東京都千代田区三崎町2-9-12
(令和7年4月寄稿)
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