江東区
亀戸香取神社
江東区指定有形文化財
紙本淡彩 道祖神祭図
歌川広重の筆。軸に仕立てられた道祖神祭の様子を描いている。
道祖神祭は、江戸中期、享保(1716~1736)の頃から毎年正月14日に行われ、氏子の子供たちが宝船を担いで亀戸から両国あたりまで練り歩いたとされる。この神事は『江戸名所図会』や『東都歳時記』にも描かれており、明治初期まで続いた。
本図は人物や宝船を墨で描き、朱や青などで淡彩を施している。画面の右から宝船が進み、前で宝船を担ぐ人物と周りを歩く人物三人が描かれている。画面右肩に「年中行事亀戸道祖神祭」という題、その下方には広重の署名と落款があり、歌川広重の肉筆として貴重な作例である。また、宝船の旗には「宝船」「亀戸村氏子」の文字が確認できる。
江東区指定有形文化財。
道祖神祭は、江戸中期、享保(1716~1736)の頃から毎年正月14日に行われ、氏子の子供たちが宝船を担いで亀戸から両国あたりまで練り歩いたとされる。この神事は『江戸名所図会』や『東都歳時記』にも描かれており、明治初期まで続いた。
本図は人物や宝船を墨で描き、朱や青などで淡彩を施している。画面の右から宝船が進み、前で宝船を担ぐ人物と周りを歩く人物三人が描かれている。画面右肩に「年中行事亀戸道祖神祭」という題、その下方には広重の署名と落款があり、歌川広重の肉筆として貴重な作例である。また、宝船の旗には「宝船」「亀戸村氏子」の文字が確認できる。
江東区指定有形文化財。
亀戸香取神社について

当神社は天智天皇4年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この「亀の島」に船を寄せ、旅の安泰を祈り、神徳を仰いだのが創始と伝えられる。
平安時代の天慶年間(938~947)、平将門を追討した俵藤太秀郷が戦勝を祈願し、後に奉賽として弓矢を奉納した古事にちなみ勝矢祭が5月5日に執り行われる。
「葛飾神社香取太神宮」と称えられ、元禄10年(1697)の検地では、徳川家の社寺帳にも記載され、古都古跡十二社の中の一つに数えられている。
平安時代の天慶年間(938~947)、平将門を追討した俵藤太秀郷が戦勝を祈願し、後に奉賽として弓矢を奉納した古事にちなみ勝矢祭が5月5日に執り行われる。
「葛飾神社香取太神宮」と称えられ、元禄10年(1697)の検地では、徳川家の社寺帳にも記載され、古都古跡十二社の中の一つに数えられている。
【鎮座地】東京都江東区亀戸3-57-22
(令和7年7月寄稿)
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