東京「鉄道沿線の神社を訪ねて」〜都電荒川線 編
王子駅前
おうじえきまえ
Oji-ekimae
「王子駅前」徒歩5分・「飛鳥山」徒歩7
王子の地名の由来となった元准勅祭社
王子神社
【王子権現】
【鎮座地】東京都北区王子本町1-1-12
賑わう駅前から緑豊かな公園へ。石段を登ると大銀杏が迎えてくれる
 王子神社の最寄りの「王子駅前」のそばには、京浜東北線などが通る王子駅、そして新幹線の高架もあります。その賑わいからすぐの音無親水公園に一歩入れば、林の中のような穏やかな情景が眼前に。公園から石段を上ると、戦災のときに焼け残ったという王子神社の大銀杏が、威風堂々とした佇まいで迎えてくれます。その自然の清らかさには心が洗われるようです。
700年前から伝承された「王子田楽」と、想いを込めて作られた「宮神輿」
 訪れたのは、木々の緑が徐々に濃くなり、木洩れ日とのコントラストが眩しく、そして美しく感じる季節。毎年、8月上旬に行われる例大祭の「槍祭」は、王子神社に古くから伝わっている「御槍」という御守護(おまもり)にちなんでおり、この広大な境内に舞台が作られ、一年ごとに本祭と陰祭が盛大に開催されます。その中でも興味深いのは「王子田楽」。中世からの民俗芸能である「田楽」を鎌倉時代から変わることなく古い形式のまま伝承しており、北区無形文化財となっています。
 また例大祭では町会のお神輿による宮出し行事が行われますが、宮神輿についても近年寄進があり、700年の歴史で初めて持つことになったそう。「王子田楽」の様子も彫刻として刻まれた、地域の皆様の想いを繋ぐ宮神輿が出御する日が楽しみですね。
徳川将軍家とのご縁も深く、明治時代より東京の北方守護に
 明治天皇により定められた元准勅祭社の王子神社は、東京の北方守護であり、「東京十社めぐり」の巡拝で訪れる方も多いそう。その御神徳は「開運除災」、そして「子育大願」です。開運除災は「運を開き、災いを除く」の意で、開運招福、運気の回生、厄除けや家内安全、身体健全、交通安全などに御神威があります。
 そして江戸の頃は、徳川将軍家とのご縁が深い神社でもありました。三代将軍徳川家光公の乳母である春日局が、竹千代(家光公の幼名)の健康と大成を王子神社(当時は若一王子社)に祈願したところ、めでたく叶った故事により、子どもに関するご祈願(初宮、七五三、学業成就、安産など)にも御神徳あらたかです。
 家光公はその後、寛永11年に王子神社の社殿を新たに造営し、その由緒を記す「若一王子縁起絵巻」の制作を命じました。狩野尚信が作画、林羅山が撰文するという大変貴重な絵巻で、現在模本は近くの紙の博物館、北区飛鳥山博物館、また東京国立博物館に所蔵されています。境内の案内板(写真)にて紹介されていましたので、訪れた際はぜひご覧になってください。
 また、境内末社の関神社は、髪の祖神をお祀りしている全国でも珍しい神社です。現在でも、床山業界、かつら店など、髪の毛を扱う職業の方々からのご参拝が数多くあるそうです。
「王子」の歴史の始まりから鎮座する御社へ
 王子神社は、中世の領主である豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をこの地にお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたと伝わっています。以来、この地は「王子」という地名に。神社の下を流れる石神井川も、ここでは熊野の音無川になぞらえて、その名で呼ばれています。上の写真は音無親水公園を上からみたところ。木々の緑に包まれたこの写真の左側が王子神社、右側が明治通りを挟んで飛鳥山となりますが、八代将軍吉宗公のときには桜の植樹が行われて奉納され、飛鳥山も神社の境内だったそうです。
 このように、今も残る風景からも長い歴史を感じられる王子神社では、創刊55年となる「王子神社社報」を年二回、発行しています(社務所にて配布しています)。先々代の王子神社宮司が戦後の復興のために始めたというこの社報は、歴史や祭典行事について記され、実際に伺ったあとに読むと、さらに神社とこの地への想いを深くすることでしょう。戦後からの時を経て、美しい鎮守の森に包まれた王子神社への道をぜひ歩いてみてください。
「王子駅前」の学べる・楽しめるスポット
飛鳥山公園
東京都北区王子1-1-3
飛鳥山モノレール
東京都北区王子1丁目付近
音無親水公園
東京都北区王子本町1丁目
北とぴあ
東京都北区王子1-11-1