港区
稲荷神社【亀塚稲荷神社】
区有形文化財
弥陀種子板碑
みだしゅじいたび
全国でも中世の関東地方に著しい信仰の特徴といわれる板状の秩父青石、すなわち緑泥片岩に刻まれた供養塔である。
弥陀を表す記号(種子)を上部に刻み、頂部を山状に切りだした秩父型の三基には、それぞれ「文永三年(1266)十二月」「正和二年(1313)」の造立年が陰刻されており、特に文永三年の刻銘は、港区に現存する板碑の中では最古である。
これらの板碑は、以前は当神社付近にあったものとも、荏原郡上大崎(現品川区上大崎)にあったものともいわれている。
写真中央の板碑が「正和二年」の陰刻が入ったもので、高さ55センチ、横17センチ。港区有形文化財に指定されている。
尚、境内には他に二基の板碑があるが、これらは摩耗がはげしく、造立年などを知ることは出来ない。
弥陀を表す記号(種子)を上部に刻み、頂部を山状に切りだした秩父型の三基には、それぞれ「文永三年(1266)十二月」「正和二年(1313)」の造立年が陰刻されており、特に文永三年の刻銘は、港区に現存する板碑の中では最古である。
これらの板碑は、以前は当神社付近にあったものとも、荏原郡上大崎(現品川区上大崎)にあったものともいわれている。
写真中央の板碑が「正和二年」の陰刻が入ったもので、高さ55センチ、横17センチ。港区有形文化財に指定されている。
尚、境内には他に二基の板碑があるが、これらは摩耗がはげしく、造立年などを知ることは出来ない。
稲荷神社【亀塚稲荷神社】について
当社は明治の頃までは功運寺の境内社だったが、功運寺の移転の際、当社だけが三田の地に残ったといわれている。
【鎮座地】東京都港区三田4-14-18
(平成22年2月寄稿)
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