板橋区
天祖神社【神明様】
女子道社製
自動御籤箱
明治維新の神仏分離令を契機に、神歌などの和歌のついたおみくじ「和歌みくじ」が多く神社で用いられるようになる。山口県の神職・宮本重胤(明治14年〜昭和34年)は、明治39年から機関誌『女子道』を発行し女性の地位向上・教化を行う一方、和歌のついた「神教御籤」を考案、神道教化の拡張を目指した。写真は、その一環で開発された女子道社製の「自働御籤箱」(自動おみくじ機)の一つで、その形状から初期(大正期)のものと考えられる。大きさは縦112センチ、横52センチ。
天祖神社【神明様】について
後深草天皇の御代(1246-59)に勧請されたとの伝承があるが、創立年は不詳。寛政9年(1797)、江戸の文人大田南畝が当社を訪れ、『武江披砂』に「松老杉枝をまじへて大きなる柊もあり。宮居のさまも藁ぶきにて、黒木の鳥居神さびたり」と当時の様子を記している。
【鎮座地】東京都板橋区南常盤台2-4-3
(平成28年11月寄稿)
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