中央区
椙森神社
区有形民俗文化財
富札
江戸時代には江戸・大坂・京都を中心に、幕府公認の「御免富(ごめんとみ)」(自社の維持・修復費用を得るための富興行)が各地の寺社境内で行われていました。
このうち当神社には天保7年(1836)に境内で興行された御免富の富札(縦15.8センチ×横4.4センチの和紙)が伝来しています。表面には、組印「珠」、番号「七千弐百三拾八」、興行日「申二月廿一日」、興行主と場所「幸手不動院於杦(すぎ)森稲荷社頭興行」などの情報のほか、割印も押されています。
尚、古文書や古記録をたどると、同神社では15回以上の御免富興行(自社での興行や幸手不動院などの受け入れ興行)が行われていたようです。
このうち当神社には天保7年(1836)に境内で興行された御免富の富札(縦15.8センチ×横4.4センチの和紙)が伝来しています。表面には、組印「珠」、番号「七千弐百三拾八」、興行日「申二月廿一日」、興行主と場所「幸手不動院於杦(すぎ)森稲荷社頭興行」などの情報のほか、割印も押されています。
尚、古文書や古記録をたどると、同神社では15回以上の御免富興行(自社での興行や幸手不動院などの受け入れ興行)が行われていたようです。
椙森神社について
承平元年(931)ころの創建と伝わる。天慶3年(940)俵藤太秀郷が戦勝を祈願し、その報賽として白銀の狐像を奉納。くだって文正元年(1466)太田道灌雨乞いして霊験があり、大いに喜び稲荷山の大神を分霊して、椙森稲荷伍社大明神また相殿に恵比寿大神を祀る。江戸時代には江戸三森の一つに数えられ、諸大名の崇敬者も多かった。
【鎮座地】東京都中央区日本橋堀留町1-10-2
(平成28年3月寄稿)
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