ご社宝めぐり

墨田区
高木神社【第六天】
区登録文化財
山玉向島講社の碑
やまたまむこうじまこうしゃのひ
 山玉向島講社はかつて向島地域にあって、江戸時代後期に成立した富士講の一つである。この碑はその山玉向島講社の人々により明治31年(1898)9月に建立され、大正期には講員が100名以上であったと推定されている。
 本碑には、正面に山玉向島講社の講印が彫刻され、その中に「廿三夜」と刻まれている。また、裏面には建立にかかわった世話人16名の名が居住地別に刻まれ、建立当時の講社に先達、講元などの役割があり、当時の中心メンバーが須崎、中之郷、寺島の住人で構成されていたことを示している。16名のうち、碑銘彫刻師として知られる三代目宮亀年(元宮為吉)が名を連ねており、碑刻者と推定される。
 近代の区内における信仰と地域の結びつきの広がりが分かる文化財として、平成23年に「区登録文化財」に指定されている。
高木神社【第六天】について
 応仁2年(1468)、室町時代の創祀と伝えられており、旧寺島新田の鎮守として尊崇され、古くは「第六天社」と呼ばれていた。明治時代初期の神仏分離の制度で「高木神社」と改めた。その社名は、御祭神である高皇産靈神の別名が「高木の神」であるからといわれている。かつては、境内に大きな臥龍の松があり、曳舟川を上下する舟をはじめ、地域の人々の往来の目印となっていた。
【鎮座地】東京都墨田区押上2-37-9
(令和元年10月寄稿)