東京神社の歩き方

… 第一歩 …

東京「島めぐり神社めぐり」

時間も距離も越えていく、島と神社をめぐる旅へ。
 東京都の島嶼地域には、多くの島があり、それぞれの島に、悠久の歴史を感じられる神社が鎮座しています。ちなみに上の写真は大島、伊豆諸島最大の島です。船に乗り、飛行機に乗り、島の神社を訪ねる旅はいかがでしょうか。
 このイラストは、東京・神奈川・静岡の空港や港から、各島へのルートと所要時間。いちばん近い大島で調布飛行場から空路25分、いちばん遠い小笠原諸島まででも1日と少しの船旅です。
 たとえば、竹芝桟橋から船に乗り7時間弱で、写真の三宅島に着きます。白い灯台は、明治42年に伊豆諸島で初めて点灯した伊豆岬灯台。天気のよい日には、ここから富士山が見えることも。また、三宅島は「歴史の島」とも呼ばれ、「三宅記」という書物には、その神話や伝説が数多く記されています。訪れた島の歴史を調べながら巡れば、往古の風景が目の前に開けてくるかもしれません。
 そうして辿り着く小笠原諸島・父島です。「世界自然遺産」(環境省HP)に選ばれている小笠原諸島。美しい珊瑚礁の海を眺めながらゆったりと過ごし、神社を訪れ、その長い年月と歴史に触れる。海を越え、距離を越え、いつもとは違う時間の過ごし方ができそうです。
 それでは、東京都の島嶼の神社をご紹介します。これから始まる暑い季節、まだ見ぬ海の向こうへ歩き出してみませんか。
大島
伊豆諸島最大の島
東京から120km|周囲:52km

大島町
御由緒
昔は野増の北方阿治古の地に社殿があったが、数次の三原山噴火による焼失のため、いつの頃からか現在の大宮の地に遷座し奉ったのであるが、その年代は定かではない。

大島町
吉谷神社
御由緒
創立年不詳。今を去る数百年の昔、冬十一月三原山噴火あり、その音雷の如く火煙天に柱し、溶岩は流れて海に達する有様に村民恐れ怖きてなすことをしらず、すなわち吉谷の地に小祠を建て三原大明神を祀り、朝夕に山霊を拝して鎮火を祈願したのが吉谷神社であると伝えられる。

利島
椿で四季を感じる島
東京から140km|周囲:7.7km

利島村
御由緒
明細帳に「創立年代詳ナラズ、延喜式小社ニ列セラレ、阿豆気明神称セリ」とあり、本島開祖とされ、山の南側に阿豆佐和気命、東側に姫神の下上命が鎮座している。参拝の不便から村落内に夫妻を祭神として分祀遷座したとされる。

新島
温暖な気候な常春の島
東京から150km|周囲:41.6km

新島村
御由緒
往古、伊豆諸島開拓の祖神、事代主命の御子大三皇子明神は、父命の志を継ぎ、同族諸神とともに本拠を新島におき、諸島平定の基を固めた。神域は広大で、幽玄うっそうとした神木は、往古の神域を語るようてある。伊豆諸島最大規模の神社である。

神津島
神々が集いし伝説の島
東京から172km|周囲:22km

神津島村
御由緒
嘉祥三年(850)官社に列せられ、明治11年に伊豆諸島が静岡県より東京都に所管替えとなった際、府社に列した。ご祭神の物忌奈命は事代主大神の長子であり母神である阿波命神社と共に現在の東京都に於いて式内名神大社は当地の二社のみである。

三宅島
神話を伝える歴史の島
東京から180km|周囲:38.5km

三宅村
御由緒
古来より伊豆七島総鎮守三島大明神として、延喜式内社。伊豆三島神社祭神の発祥地として知られる。

御蔵島
野生のイルカと泳げる島
東京から200km|周囲:16km

御蔵島村
御由緒
創立は詳らかではないが、口碑によると、昔、島の稲根山の山頂に毎夜光り輝くものがあるので、島民が不思議に思い近づいて見ると、りっぱな鏡が木にかかっていた。そこで島の神主の祖、四郎二郎がかしこみ堂宇を建てて奉祀した。現在の稲根山の奥宮である。嘉祥五年(850)に、祭神伊太氐和気命に従五位下が与えられ、その二年後に正五位上が賜られたと記録に残っている。元禄八年(1695)に社殿を建立し、文久元年(1861)にも改築した記録がある。明治三十五年には本殿を改築している。明治になって島内にある神社をすべて境内社御笏神社に合祀した。

八丈島
花と緑と温泉の島
東京から287km|周囲:59.5km

八丈町
御由緒
伊豆諸島は造物主事代主命の一族と、命の八人の妃によって領有された。事代主命は三宅島に宮居を定められたが、その地で崩じた。妃の一人、八十八重姫(優婆夷大神)は八丈島に渡り古宝丸(宝明神)を生み、この二方が八丈島を繁栄させたという。

小笠原諸島・父島
世界自然遺産の島
東京から984km|周囲:52km

小笠原村
御由緒
文禄二年徳川家康の命を受け、信州深志の城主小笠原貞頼公が小笠原島を発見、父島に大日本天照皇大神宮の地と記した標柱を建てたと伝えられている。戦争で炎上し昭和二十一年に府中市、八雲神社に小社殿を建て遷座奉祀、昭和四十三年小笠原諸島の返還後、四十七年旧境内に小祠を建設、五十三年現社殿を造営した。