ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
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足立区舎人(とねり)氷川神社慶応2年(1866)に同社に奉納された絵馬。描かれた絵は、源義家(八幡太郎)と雁と松。後三年の役(永保3年〜寛治元年、1083〜7)にて、源義家が雁の列の乱れから伏兵に気づいた逸話を画題とする。作者の平柳文暉(ひらやなぎぶんき)…
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荒川区石濱神社石濱神社本殿隣の摂社・麁香神社は、手置帆負命(たおきほおいのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)の二柱を奉祀し、安永8年(1779)の8月8日に鎮座。家屋敷の土台の守…北区七社(ななしゃ)神社「日本近代資本主義の父」と称えられる渋沢栄一翁は、明治12年、七社神社の氏子区域である西ヶ原村に別荘・飛鳥山邸を構え、明治34年にはその飛鳥山邸を本邸とし、同社の氏子とな…墨田区秋葉神社秋葉神社境内には、江戸時代の老中、寺社奉行、勘定奉行などの幕府要職を務めた大名・旗本らが寄進した石燈籠七基が現存し、そのうち六基が区登録有形文化財(歴史資料)になっている。 社殿造営にも携わった上州沼田城主・本多正永(ほんだ…新宿区稲足神社江戸中期の創建。当初は、上州館林藩・秋元家の守護神として浅草に鎮座し、明治4年に秋元家下屋敷であった現在地に遷座した。昭和20年4月、空襲にて焼失。昭和30年、宮原柳僊画伯の筆により現在の板碑が復元され、昭和61年に堂宇が再建さ…大田区御嶽神社本殿西隣の末社・一山神社は、御嶽神社中興の祖と称えられる一山行者(いっさんぎょうじゃ)(一山霊神(れいじん))などの御嶽信仰の行者・先達を霊神として奉祀し、殿内には、一山行者像(木像)を安置している。明治32年の建立で、国登録有…町田市町田天満宮額の表面には「町田天満威徳天神」、裏面には「嘉永六年九月十三日/神祇伯資訓王謹書」とある。「天満威徳天神」は御祭神菅原道真公の神名の一つである。 揮毫者の神祇伯資訓王(すけのりおう)は、後に子爵となる白川資訓(1841〜19…杉並区天沼八幡神社同社鳥居脇に建立されている石碑。中央に「國體明徴」、向かって左脇に「頭山満」と刻まれている。 この碑は昭和14年建立であるが、元になった「國體明徴」の扁額は、昭和初期、頭山が天沼のさる貴人宅を訪問した折、同社を参拝し揮毫した…本胸像は、香取茂世初代庁長の喜寿をお祝いし、その功績を称えて有志の協賛を得て建立されたものである。昭和35年10月7日に除幕式がおこなわれ、昨年建立から60年の還暦を迎えた。彫刻家・堀進二氏の作。 江東区・香取神社の宮司であ…台東区藏前神社【東石清水宮】昭和15年(1940)、神武天皇御即位を起点とする皇紀二六〇〇年の紀元節(現・建国記念の日)である2月11日に、徳富蘇峰が奉祝の意を込め揮毫したものという。戦災を被った同社の再建の折、氏子より寄贈された。 同社拝殿の向かって…港区金刀比羅宮【こんぴらさん】金刀比羅宮は、讃岐国丸亀藩京極家の芝・三田の江戸藩邸内に鎮座していた。延宝7年(1679)、藩邸移転に伴い虎ノ門に遷座した。 この銅鳥居は、文政4年(1821)に芝周…府中市上染屋(かみそめや)八幡神社鎌倉時代の弘長元年(1261)、上野国八幡庄にて造立された善光寺式の阿弥陀像である。 鎌倉時代末の元弘3年(1333)、南朝の忠臣・新田義貞公が鎌倉攻めに際して陣中守…品川区品川神社【北の天王社】慶長5年(1600)、徳川家康公が関ヶ原の戦いに出陣の際に戦勝を祈願され、合戦の後、勝利の御礼としてこの面を奉納された。もとは舞楽の演目の「二の舞」に用いられる面で、室町時代中期に作られたとみられる。江戸時代中頃の疫病が流行した…あきる野市子生(こやす)神社江戸時代後期の弘化4年(1847)の建築で、構造は一間社流れ造である。屋根は薄い板を重ね合わせた「こけら葺」と呼ばれる葺き方で、軒唐破風と千鳥破風が付けられている。扁額や彫刻に記された文字から、大工「高階菊治郎邦直」や彫工「小川…練馬区氷川神社【石神井の氷川さま】写真は令和2年春竣工した儀式殿玄関ホールに設けた衝立(高さ1.45メートル、幅2.1メートル)である。作者の山本瑞雲は木彫刻家・高村光雲の高弟で、現・奥野雅司宮司の曽祖父…葛飾区葛西神社葛西神社の鍾馗(しょうき)石像は、元禄8年 (1695)、金町村の念仏講が建立したもの。立像を浮き彫りにした形式で、地上高111センチ、像高72センチ、幅42センチ、奥行29センチ。右手には剣を持ち、左手には小鬼を掴んでいる。像…渋谷区明治神宮明治14年(1881)、港区の旧赤坂仮皇居に明治天皇の迎賓施設として建築された。御会食所の外観は御所風を基本としながら、洋風に床を板敷きとし絨毯や暖炉を導入した和洋折哀の…港区氷川神社【赤坂氷川神社】赤坂氷川神社には、勝海舟・高橋泥舟・山岡鉄舟がそれぞれに「氷川神社」と記した掛け軸が所蔵されている。 勝海舟は幕末の動乱期にこの地に屋敷を構えており、赤坂の地とは縁が深く、維新後、徳川家に従って駿府に移った後も、明治5年(1…杉並区井草八幡宮顔面把手付釣手形土器(がんめんとってつきつりてがたどき)は井荻3丁目(現在の善福寺1、2丁目及び西荻北4丁目)から出土した縄文中期のもので、関東地方等で見られる。 井草八幡宮の境内東側付近からは縄文時代中期(約4000年前)…青梅市鹿島玉川神社幕末には、黒船来航などによる治安悪化から剣術が盛んになった。青梅では開平三知流(かいへいさんちりゅう)剣術始祖三田左内、柳剛流三代目石川良助など多数の剣客を輩出しており、その中で三田左内は奉納額を二つの神社に奉納している。一つは…中央区住吉神社住吉神社の水盤舎は明治2年(1869)に建てられ、参拝者が手を清めるための水盤を置いた欅材(けやきざい)の切妻(きりづま)造、瓦葺きの建物である。明治44年(1911)に…千代田区平河天満宮嘉永5年(1852)の菅原道真公の九百五十年祭にあたり、浄瑠璃(じょうるり)常磐津節(ときわづぶし)の岸沢右和左(きしざわうわさ)の麹町の門弟達によって奉納された石造物の一つである。鳥居を入り左側の平河稲荷神社参道の分岐点に置か…奥多摩町熊野神社