ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
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八王子市諏訪神社諏訪神社は、明治9年に諏訪・子之(ねの)権現・八幡の三社が合祀されたものである。これら三社の本殿からは、江戸時代中ごろから明治時代にかけての江戸の建築様式が、八王子周辺に伝わった様子をうかがうことができる。 これらの本殿の建…
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渋谷区代々木八幡宮昭和25年夏、國學院大學考古学資料室と地元の上原中学校の生徒たちによって神社の境内で発掘調査が行われ、多数の縄文時代の土器や石器が発見された。写真はほぼ完全な形で出土した土器で直径約40センチ。故意に胴部以下を打ち欠き底部を抜い…
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港区幸稲荷神社慶長年間より伝わる御祠石。由来は『増上寺観智国師夢に告あり、翌朝社頭に神拝の折、この石に腰を掛け誓約の事あり、この石に水を注ぎ心願する時はいかなる熱病もたちまち癒える』という。 また子どもの夜泣き等もただちに止むと言い伝えら…
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羽村市玉川神社【おすわさま】「北辰真武一刀流」は、神田於玉が池にあった千葉道場四天王の一人、小栗篤三郎を祖とする。この巻物の冒頭には、北極星(北辰)が万物の中心とする妙見信仰を基に、北斗七星図が描かれ、つい最近発見された坂本龍馬宛の許状でも形態は同様である…
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足立区稲荷神社当社は区内唯一の土蔵造りの本殿となっており、正面の扉の内側には「伊豆の長八」による鏝絵が描かれている。絵は夫婦の白狐で、向かって右扉に雄狐、左扉に雌狐が子狐を抱き、背後に稲穂が配されている。子狐を見る母狐の慈愛溢れる眼差し、優美…
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文京区根津神社【根津権現】徳川五代将軍綱吉自筆奉納の寿老人画である。七福神のひとつ、鹿をつれて描かれることが多く、長寿を恵む神仙とされる。文治政治をよくした綱吉らしくこの他にも絵をよく描いており、教養人としての一面を知ることができる。 嗣子のなかった…
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中央区椙森神社江戸時代には江戸・大坂・京都を中心に、幕府公認の「御免富(ごめんとみ)」(自社の維持・修復費用を得るための富興行)が各地の寺社境内で行われていました。 このうち当神社には天保7年(1836)に境内で興行された御免富の富札(縦…
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日野市八幡神社この軍配は天正18年に徳川家康が関東へ入国して領内を巡検した折、当社に寄進したと伝えられている。由来書もあったが、その後亡失したという。この軍配と、これに伴っていたと思われる袱紗(ふくさ)、それに至道無難墨蹟が社宝となっている。…
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千代田区日枝神社【山王さま】元和元年(1615)5月、大坂夏の陣に勝利して江戸へ凱旋した二代将軍徳川秀忠は、日枝神社の大祭である6月の山王祭を前に「太平の世を祝って諫鼓鶏の山車を末代に至るまで一番で渡せ」と上意を下し、それまでの「御幣猿」に代わって「諫鼓鶏…
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青梅市下山八幡神社当社は寛保2年(1742)2月に大風による被害を受けて、本殿が大破したことが文献に見られます。現在の本殿は宝暦5年(1755)8月、当時多摩地方の神社仏閣の建造物を多く手掛けたことで知られる立川村の大工棟梁・中島七兵衛清重と下村…
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練馬区氷川神社【石神井の氷川さま】明治から昭和まで活躍した木彫家山本瑞雲作の狛犬一対である。山本瑞雲(慶応3年─昭和16年)は熱海出身で、高村光雲の一番弟子であった。作品の多くは、残念ながら大東亜戦争により焼失したり、ブロンズ像は供出したりしたと聞く。現存する弥…
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杉並区白山神社【荻窪白山】この額(縦65センチ、横100センチ)は「弘進社」が明治31年に当社へ奉納したものである。「弘進社」は地元の養蚕組合で、設立後当地の養蚕は飛躍的に伸張し、豊多摩郡内一の養蚕村へと発展した。これにはその組合員42名が生産した繭玉が…
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小平市熊野宮 【一本榎神社】往時当宮が鎮座するこの一帯は「逃水(にげみず)の里」と称され、水の便が非常に悪い場所で、往還する人馬にとって寒暑や飲み水の確保に難渋した地域だったようである。そのような原野の中に一本の榎の巨木が聳え立っていた。これが「武蔵野の一…
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江東区宇迦八幡宮この宝塔は高さ241センチ、幅90センチで、石質は安山岩(小松石)である。塔身部は六角で、各面に仏像とそれぞれの仏像名が刻まれている。これは貞享2年(1685)8月15日に妙法蓮華経千部供養塔として、富岡八幡宮別当の永代寺に融誉…
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目黒区中目黒八幡神社当社に「昭和造営六十周年記念」と元神社本庁長老宝登山神社宮司横田茂氏揮毫による碑と共に「さざれ石」(縦120センチ・横90センチ)があります。現在、採掘禁止の天然記念物「細石(さざれいし)」で奇しき縁により設置することができまし…
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台東区熱田神社本社が所蔵する大太刀は全長368.5センチの長大なものである。弘化4年(1847)小石川に住居する刀工、川井久幸が制作し、当社に奉納した。宝刀として保存されるだけではなく、安政5年(1858)のコレラ流行の際には、疫病を祓うため…
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三鷹市勝淵神社織田信長の重臣、柴田勝家は賤ヶ岳の戦いに敗れ北ノ庄にて自刃したが、孫である後の勝重を落ち延びさせる際、愛用の黄金の兜を与えた。その後勝重は関ヶ原の戦や大坂の役で戦功を挙げ、恩賞として与えられた所領の一部分である現境内地に社殿を建…
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杉並区天祖神社【神明様】当神社の社務所前には椿の垣根があり、よく見ると先端が金魚の尾っぽのように分かれている珍しい形の葉をした木があります。この椿はキンギョツバキ(金魚椿)またはキンギョバツバキ(錦魚葉椿)といわれ、突然変異によって生まれたヤブツバキの…
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新宿区水稲荷神社水稲荷神社の祭礼を中心に奏される祭囃子で、江戸時代末期に阿佐ヶ谷に住む田淵初(本名横川初五郎)が編み出した田淵流祭囃子の流れをくむものである。 昭和初期に途絶え、太平洋戦争後に一時期(昭和24年~同28年)に再開したが、昭和…
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あきる野市二宮神社【みょうじんさま】算額絵馬は、数学の問題や解法が書かれたもので、江戸時代に神社や仏閣に解答成就の感謝などを目的に奉納されるようになりました。あきる野市の二宮神社に現存する算額は、寛政6年(1795)に奉納された絵馬で、日本独自の数学である和算を使…
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新宿区八幡神社 【筑土八幡神社】寛文四年(1664)に奉納された舟型(光背型)の庚申塔である。高さ186センチ、黒褐色安山岩。最上部に日月、中央部に雌雄の猿と桃の木を配する。右側の牡猿は立ち上がって実の付いた桃の枝を手折っているのに対し、左側の牝猿はうずくまり…
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大田区八幡神社【子安八幡神社】この石鳥居は安永3年(1774)に、時の領主小泉藤三郎包教の武運長久を祈って氏子たちが奉納したものである。この時代の領主と村民の結びつきを知る上にも貴重である。小泉氏は初代次太夫吉次が六郷用水を開削した功績により、幕末まで代々こ…
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品川区利田神社【辨天社】この鯨碑(鯨塚)は寛政10年(1798)5月1日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師たちによって捕らえられた鯨の供養碑である。鯨の体長は約16.5メートルの大鯨で江戸中の評判になり、ついには時の将軍、十一代…
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千代田区日枝神社【山王さま】十代将軍徳川家治公直筆の絵画で、一羽の雉と枯れ枝などが描かれている。材質は和紙、画面の寸法は高さ111.5センチ、横幅42.5センチ。保存状態も良く、添書きによれば、この絵画は安永2年(1773)当時家治近臣として御小納戸頭取を…