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神社Q&A
神社と神道について、皆さまのご質問にお答えしています。

神社と祭神

伊勢神宮には正式の呼び方があるそうですが
 「お伊勢さん」とか「大神宮さん」などと、親しみをこめて呼ばれている伊勢神宮は、本来は単に「神宮」というのが正しい呼び方です。
 神宮は、国民すべての祖神(おやがみ)でもある天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀(まつ)りする皇大神宮(こうたいじんぐう:内宮(ないくう))と、私たちの生活に欠かすことの出来ない衣食住の恵みを与えてくださる豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする豊受大神宮(とようけだいじんぐう)(外宮(げくう))の二つの宮を中心に、十四の別宮、百九の摂社・末社・所管社を含む百二十五社から成り立つ、日本で最も大きな神社です。
 宮中でお祀りされていた天照大御神を、第十一代垂仁(すいにん)天皇の御時に伊勢の地へお祀りして以来、約二千年もの間、いつの時代も皇室の弥栄(いやさか)、国家の安泰、国民の平安を祈るお祭りが続けられてきました。
 神宮では、年間に数多くのお祭りが斎行されますが、その中でも新穀を棒げる神嘗祭(かんなめさい)は最も大切なお祭りとされています。

伊勢神宮(正式には神宮)はいつ頃できたのですか
 皇室そして日本国民の先祖の神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、初め天皇がお住まいになっておられる宮中にまつられていました。
 しかし、今から二千年以上も昔の第十代崇神(すいじん)天皇の御代、国内に伝染病がはやったので、天皇は神さまのお力にかしこみ、天照大御神を皇女の豊鍬入姫命(とみすきいりひめのみこと)に命じて、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)にまつらせました。
 次の垂仁天皇の御代、皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)がさらに良いところを求めて、伊賀・近江・美濃と各地をめぐり、伊勢国・度会(わたらい)の宇治(うじ)の五十鈴(いすず)川上にこられた時、「この神風の伊勢の国は、常世(とこよ)の浪(なみ)の重浪(しきなみ)の帰(き)する国なり、傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり、この国に居らむとおもう」『日本書紀』という神さまのおつげがあったので、ここが大御神のお心に最もかなったところとしてお鎮(しず)めになりました。
 その場所が今の皇大神宮(内宮:ないくう)です。 垂仁天皇二十六年、今から二千年前のことでした。
 伊勢は大和からみると太陽の昇る東の地、常世の国(理想郷)であり、また地理的にも山海の幸に恵まれた最良の地であったので、大御神はこの地をお選びになったのでしょう。

伊勢神宮(正式には神宮)にはなぜ内宮と外宮があるのですか
 今から二千年前の第十一代垂仁天皇の御代、天照大御神(あまてらすおおみかみ)のお心に最もかなったところとして皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)がお鎮(しず)めになった場所が伊勢国・度会(わたらい)の宇治(うじ)の五十鈴(いすず)川上、今の皇大神宮(内宮:ないくう)です。
 それからほぼ五百年後の第二十一代・雄略(ゆうりゃく)天皇の夢の中に大御神が現れ「丹波国・比治(ひじ)の真名井原(まないはら)にまつられている等由気大神(とゆけのおおかみ)(豊受大神)を、御饌都神(食事を司る神)として私の近くに呼んで欲しい、一人では大御食(お食事)も安心して食べられない」と神さまのおつげがありました。そこで豊受大神を度会の山田原(やまだかはら)にお迎えしておまつりした場所が今の豊受大神宮(外宮)です。  御饌都神とは、稲をはじめとする五穀の主宰神で、大御神のお食事をつかさどり、さらに衣食住ひいてはすべての産業の守り神であります。
 内宮の御祭神は私たちに命の本源を与えて下さった大御祖神(おおみおやがみ)ですが、外宮の御祭神のおかげもあってこそ私たちは生き、生かされているのです。 それゆえに神宮は全国神社の本宗と仰がれています。 神宮にはこの両宮の他に、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)あわせて百二十五のお社があります。

天照大御神(伊勢神宮内宮のご祭神)はどういう神さまですか
 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が国土を整え、万物を育て、最後に天照大御神(あまてらすおおみかみ)・月読命(つきよみのみこと)・須佐之男命(すさのおのみこと)の三貴子をお生みになりました。高天原(たかまのはら)を治められた天照大御神は、いよいよ皇孫(こそん)瓊々杵尊(ににぎのみこと)がこの国土に降りられるとき、皇位の璽(しるし)である三種の神器(八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)・八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま))を授けられて、「この鏡は、もはら我が御魂(みたま)として、吾が前を拝(いつ)くがごと拝き奉(まつ)れ」と神勅を下されました。この御鏡こそが内宮の御祭神、天照大御神の御霊代としておまつりする神鏡(しんきょう)です。
 私たちには誰にでも両親がいて、それは代々過去にとめどもなく続いており、そのたどり着く先が皇室の御祖神であり、日本民族の大御祖(おおみおや)と仰がれる天照大御神なのです。
 天照大御神は、その文字が示すように、天を照らす太陽を象徴しています。 しかし、太陽そのものを神とするのではなく、太陽に例えられるような、偉大で明るい立派な日本民族の祖神を意味する神さまなのです。神宮では御名をたたえて、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と申し上げます。

伊勢神宮(正式には神宮)には、なぜ二十年に一度の式年遷宮があるのですか
 遷宮(せんぐう)とは「宮うつし」の意味で、新しい神殿を造り、そこに神さまのおうつりを願うことです。式年とは「定めの年」の意味で、神宮では二十年に一度とすることを千三百年前に天武天皇がお定めになり、持統天皇四年(六百九十年)に第一回の式年遷宮が行われ、平成五年には第六十一回目のこの国家の重儀が天皇の思し召しにより、国民の尊いご奉賛をもって行われました。
 社殿は掘立柱(ほったてばしら)に萱(かや)の屋根という素朴なヒノキの白木造りです。第一回当時、すでに法隆寺が造られており永久的な建築が可能でしたが、神代からの伝統を重んじ、神さまの最もおよろこびになられる殿舎としてこの建築様式が選ばれ、今日に引き継がれたと考えられます。
 神道では浄明正直(じょうみょうしょうじき)、つまり清く明るく、直(なお)く正しくうるわしい心を大切にしていますから、神さまのおはします神殿も常に清々(すがすが)しくあることを理想とします。古代の人々は神さまも万物も、命が親から子へと引き継がれていくように、生まれ変わると考えました。二十年を一つの区切りにしたのは、それが人の一生の中でも、建造技術や調度品、祭器具などの製造技術の伝承の面からしても最もふさわしい節目となる年限であったのです。

お伊勢参りは「おかげ参り」とも言われていたようですが
 お伊勢さまを祖神(おやがみ)としてお慕いする心は今も変わりませんが、遠い昔は交通も不便であったことから伊勢参宮の風習はあまり盛んではなかったようです。
 しかし、平安時代後期から鎌倉時代にかけて現れた御師(おし:お参りの人たちのためにご祈祷をしたり、案内や宿泊の世話をする。また年末には神宮のおふだや暦を配った)の活動と共に「伊勢講(いせこう)」という伊勢参りの講社も各地に組織されるなどして、みるみる参宮が盛んになり、庶民特に農民のお参りが増えました。
 この旅は、お伊勢参りだけでなく、奈良・京の都の観光、熊野参りもかねることのできる一生に一度の遊楽の旅でもありました。
 江戸時代になると、このお伊勢参りに、ほぼ六十年ごとにたくさんの人々が集まる現象(幕末には年間五百万人以上)も起こりました。 幕府も公認のこの旅は、神恩のおかげ、あたたかく迎えてくれる沿道の人たちのおかげでお参りを果たすことができたことなどから、「おかげ参り」ともいわれるようになったようです。
 お参りを熱望する心は今の世の中も変わらず、今日では年間九百万人もの参拝者を数えます。

伊勢神宮(正式には神宮)の御神札はどうして「大麻(たいま)」というのですか
 日本国民の総氏神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)をまつっている伊勢の神宮の御神札は、明治以前は御師(おし)といわれる神職によって全国各地の家々に配布されていました。
 恩師は崇敬者(檀那:だんな)のためにご祈願を込めたしるしとして、祓串(はらえぐし)を納めた箱あるいは小さな祓串を剣先形に紙で包んだ物も配布していました。 その小さな祓串は大祓詞(おおはらえのことば:お祓いの祝詞(のりと))を唱え、罪・けがれを祓う霊力がある神聖な大麻(おおぬさ)にて祓い、祈祷を修めた祓串であったことから御祓大麻(おはらいおおぬさ)、俗にお祓いさんと言われました。
 明治の御代になって、御師による配布は廃止され、御祓大麻は神宮大麻(じんぐうたいま)と名称が改まり、明治天皇の聖旨により政府事業として全国全戸に漏れなく配布されるようになりました。
 戦後は、全国神社を包括する神社本庁が神宮の委託を受け、都道府県神社庁を経由して各神社を通し、今日約九百万の家庭に配布されております。
 神宮大麻を家庭にまつることにより、家の内が祓い清められ、拝むことによりその心は大御神の御許(みもと)に届き、広大無辺のご神徳を得ることができるのです。

神社の称号について教えてください
 神社の称号には、「神社」といわれる他に「神宮」「宮(ぐう)」「大社(たいしゃ)」「社」などがあり、各々の神社の由緒に基づいて定められています。
 神宮という称号は、明治神宮や熱田(あつた)神宮、平安(へいあん)神宮のように、皇室と深いつながりをもつ神社であるとか、天皇を御祭神としてお祀りしている神社に用いられます。ただし、単に「神宮」と称した場合は、伊勢神宮のことをさします(「伊勢神宮」は通称であり、正式な名称は「神宮」です)。
 宮の称号は、八代宮や井伊谷(いいのや)宮のように、親王をお祀りしている神社に用いられます。なお、東照宮や天満宮、八幡(はちまん)宮のように慣習的に称号を用いる例もあります。
 大社の称号は、かつて官国幣社(かんこくへいしゃ)制度があったときには、出雲(いずも)大社のことをさしました。しかし、戦後になってからは、春日(かすが)大社や住吉大社のようにこの称号を用いる神社が増えました。これらの神社は、いずれも旧社格が官幣(かんぺい)大社、国幣(こくへい)大社の神社です。
 社の称号は、大きな神社から御祭神を勧請(かんじょう)した神社に用いられ、神明社(しんめいしゃ)や天神社(てんじんしゃ)などがあります。

稲荷(いなり)神社はどなたをお祀(まつ)りしているのですか
 稲荷神社の御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)(倉稲魂神)で、五穀を始めとして全ての食物をつかさどり、稲の成育を守護する神さまです。稲荷とは、もともと「稲成(いねなり)」、つまり稲が成育することを意味しているといわれています。
 中世から近世へと、商工業が発達するに従って、従来のように農業だけではなく、衣食住と諸産業の神さまとして崇敬されるようになりました。
 全国各地には、多くの稲荷神社がありますが、そのほとんどは京都の伏見(ふしみ)にある伏見稲荷大社から分かれたものです。

稲荷(いなり)神社と狐の関わりについて教えてください
 古来から日本では、山や森、樹木に神さまが宿るとされ、御神木(ごしんぼく)としてお祀りされている例があります。これと同様に、動物にも神さまとの関わりを認めてきました。 動物に対する信仰は、やがて特定の動物を特定の神さまの、その神意を伝える使い(使者)とする信仰へと展開していきました。
 これらの動物の代表ともいえるのが、お稲荷さんの狐です。 稲荷神社の御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)(倉稲魂神)で、「宇迦」とは食(うけ)の意味であり、食糧をつかさどり、稲の成育を守る神さまです。狐が稲荷神社の使いとされた理由としては、御祭神の別名である御饌津神(みけつかみ)のその文字に、狐(ケツネ=キツネの古語)を使い三狐神(みけつかみ)と記したことによるといわれていますが、これについては諸説があります。
 いずれにしても狐という動物は、私たちの先祖が、その生活の中で接ことの多かった親しい動物でもあり、おのずと稲荷神社の「使い」としての信仰が定まったのでしょう。 狐=お稲荷さんということではありません。

八幡(はちまん)さまは全国に何社ぐらいありますか
 全国の神社の三分の一(約二万五千社)を数える八幡さまの本社は、大分県宇佐市にある宇佐神宮(宇佐八幡宮)です。八幡さまでは、応神(おうじん)天皇(誉田川尊(ほんだわけのみこと))と神功(じんぐう)皇后(息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと))、そして比売神(ひめがみ)も併(あわ)せてお祀(まつ)りしていますが、この他に玉依姫命(たまよりひめのみこと)、住吉(すみよし)大神、全比羅(ことひら)神、仲哀(ちゅうあい)天皇、仁徳(にんとく)天皇のいずれかを併せてお祀りする所もあります。
 八幡さまは、早くも奈良時代の頃から皇室の篤い(あつい)信仰があり、平安時代になると、京都に石清水(いわしみず)八幡宮が創建され、国家の守護神として宇佐神宮の御分霊がお祀りされました。その後、さらに源頼朝が鎌倉に鶴岡八幡宮を創建し、清和(せいわ)源氏の氏神として信仰したことから、武家の守護神としてまたたくまに武士の間で崇敬され、各地の武士は領地に八幡さまをお祀りしたのです。現在では多くの人々からの根強い信仰を集めています。

七福神は日本の神様ですか
 福徳をもたらす神さまを「福神(ふくじん)」といい、その代表的なものに「七福神」の信仰があります。 この信仰は、室町時代から起きたものともいわれ、普通は恵比寿(えびす)・大黒天(だいこくてん)・昆沙門天(びしゃもんてん)・弁財天(べんざいてん)・布袋(ほてい)・福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうにん)の七神があてられます。 このうち寿老人は福禄寿と同体異名であるという説もあることから、寿老人の代わりに吉祥天(きっしょうてん)を入れることもあります。 七福神は吉兆の象徴として、絵画や彫刻、芸能の題材にもされています。
恵比寿(恵比須・夷・蛭子)
 狩衣(かりぎぬ)・指貫(さしこ)に風折鳥帽子(かざおりえぼし)を着け、右手に釣ざお、左手に鯛(たい)を抱える。 事代主神(ことしろぬしのかみ)や蛭子尊(ひるこのみこと)をさすともいわれる。 海運守護・商売繁盛の神。
大黒天
 頭巾(ずきん)をかぶり、右手に小槌(こづち)、左手は背負った大きな袋の口を握り、米俵の上に乗っている。 インドの神であるが、「大黒」が「大国」に通ずるところから、出雲大仕に祀られている大国主命(おおくにぬしのみこと)と混同される。 福徳の神で、恵比寿とともに広く民間に信仰されている。
昆沙門天
 黄色くて怒りの相を表し、甲冑(かっちゅう)を着け、手には宝塔(ほうとう)を持つ。 別名を多聞天(たもんてん)という。 インドの神であり、財宝の神として信仰されている。
弁財天
 「弁天(べんてん)」と略称で呼ばれることもある。 その像にはいろいろと種類があるようだが、琵琶を弾じている女像が代表的な像とされる。 本来はインドの神で、農業神でもあったが、のちに音楽や芸能、知恵の神となった。
布袋
 中国で実在した禅僧布袋和尚を神格化したものといわれる。 肥満休で腹が出ていて、布の袋を持つ。 円満の神。
福禄寿
 中国の仙人に由来するといわれる。 背が低くて頭が長く、髭(ひげ)が多くて経巻(きょうかん)を結びつけた杖(つえ)などを持つ。 長寿を授ける神。 寿老人との混同がある。
寿老人
 背が低くて白髪を垂れ、髭が長くて杖やうちわを持つ。 長寿を授ける神。 福禄寿との混同がある。