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神社Q&A
神社と神道について、皆さまのご質問にお答えしています。

四季の祭りと行事

門松(かどまつ)はなぜ立てるのですか
 新年を祝って、家の門口などに飾られる「門松」とは、その年の神さまをお招きするための目印であり、また、神さまがお降りになったときに宿られる場所(依代(よりしろ))を表すものです。もともとは、松・杉・椎(しい)・榊(さかき)といった常緑樹を用いていたようですが、いつしか主として松を用いるようになり、そのことから門松と呼ばれるようになりました。
 現在の門松は、竹三本を松で囲み、荒縄で結んだ形が一般的ですが、関西方面では松の小枝に半紙を巻き、それに水引きをかけたり、紙垂(しで)や橙(だいだい)、柊(ひいらぎ)などで飾られた門松もあります。正月の祝い物、飾り物としてその形態もさまざまです。
 なお、門松や注連飾り(しめかざり)などの正月飾りを取り除く日については、一月七日に定めている地方が多く、正月をひと区切りする意味で、元日から七日までを「松の内(うち)」といいます。

鏡餅(かがみもち)の飾り方について教えてください
 円くて平たい、大小二個の餅を重ねたものを「鏡餅」といいます。これは、豊作をもたらし五穀豊穣を守る、年神(としがみ)さまへのお供えです。そもそも餅というのは、米から作られるもので、神さまのお恵みによって授けられた賜物(たまもの)といえるでしょう。これを年神さまに供えることにより、感謝の気持ちを表すのです。まさに餅は、正月には不可欠なものといえます。
 飾り方は、まず三方(さんぼう)の上に奉書紙または半紙を敷き、その端が三方から垂れるようにします。次に羊歯(しだ)(裏白(うらじろ))とゆずり葉を両側に垂らすように敷き、その土に昆布を置きます。そして、大小二個の餅を重ね、餅の上に橙(だいだい)をのせます。さらに伊勢海老や串柿、するめや末広などの縁起物をのせて飾ると華やかです。
 鏡餅の語源については、その字が示すように、餅の形が鏡に似ているからといわれていますが諸説あります。

屠蘇(とそ)は年長者から飲むものですか、年少者からですか
 正月に年明けを祝って飲む延命長寿の薬酒を「屠蘇」といいます。正月に屠蘇を飲むようになったのは、中国では唐の時代からで、日本においては平安時代の初期からといわれています。屠蘇は、みりんの中に山椒(さんしょう)・桔梗(ききょう)・肉桂(にっけい)などの薬草をひたしたもので、これを飲むことにより邪気が払われ、寿命が延びるといわれているので、新年の祝い膳には欠かせないものの一つとされているのです。
 元旦は、まず祝い膳の用意が整ったら、家族揃って膳につきます。そして、年明けの挨拶をかわしたあと、本年も家族全員が健康に過ごせるようにと祈って屠蘇を飲みます。 屠蘇は大・中,小の三種類の大きさの、いわゆる三つ重ねの盃を用いて飲みます。 その飲み方は、一家の長である主人から年少者へと順々に飲み干していく方法と、中国式に年少者から年長者へと順々に飲み干していく方法とがあります。

お年玉の「玉」とはどういう意味ですか
 日本では古くから、新年のお祝いとして、年の始めに贈り物をし合う習慣があり、すでに室町時代には盛んに行われていたようです。贈り物としては、金子(きんす)や餅、筆や紙などの品が用いられ、これらを「年玉」と呼んでいました。 つまり、年玉とは「年の賜物(たまもの)」という意味なのです。
 現在では、正月に子どもたちへ贈る現金のことを、主に意味するようになりましたが、お年玉は必ずしも現金とは限らず、文具やおもちやなども用いられています。
 お年玉は、祖父母や親から子どもたちに贈られることが多いのですが、子どもたちにとってお年玉というのは、正月の楽しみの一つでもあります。

春の七草(ななくさ)の名称を教えてください
 七草は「七草の節句」の略であり、「人日(じんじつ)」とか「若菜の節」ともいわれています。 これは一月七日の朝に、七草といわれる芹(せり)・薺(なずな)(ペンペン草)・御形(ごぎょう)(母子草(ははこぐさ))・はこべら(はこべ)・仏の座(田平子(たびらこ))・菘(すずな)(蕪(かぶ))・すずしろ(大根)の、七種類の野草・野菜を刻み、粥(かゆ)に入れて食べるという、日本に昔からある風習ですが、その原型となるものは中国から伝来しました。
 江戸時代には将軍以下の諸公が、七草が入った粥「七草粥」を食べる儀礼があり、これは公式の行事でもありました。 現在も日本全国で行われていて、この日は八百屋の店頭にも、きれいにセットされた七草が並びます。
 草木が萌え出した証ともいえる七草の若菜、それらが入った七草粥を食べると、邪気が払われ万病が除かれるといわれています。

鏡開(かがみびら)きは昔から一月十一日に行われてきたのですか
 「鏡開き」とは、正月に神さまへ供えた鏡餅(かがみもち)を、一月十一日に下げて食べる風習をいいます。
 鏡餅は刃物で切らずに、手や槌(つち)で割って食べるのがしきたりですが、刃物を使わない理由としては、餅が固いことと「切る」という言葉を忌むためです。ですから鏡開きというように、「開く」という縁起のよい言葉を使ったのです。
 もともと鏡開きは、一月二十日に行われていましたが、徳川三代将軍家光の忌日が二十日であったため、幕府が蔵開きの日であった十一日に変更し、それが現在に至っているといわれています。
 鏡開きの日には、割った餅を汁粉(しるこ)や雑煮(ぞうに)に入れて食べますが、そのように神さまの御霊(みたま)の宿った餅を食べることで、神さまのご利益をいただくわけです。

左義長(さぎちょう)(三毬杖)は何をする行事ですか
 平安時代の宮中では、清涼殿(せいりょうでん)の東庭で青竹を束ねて立て毬杖(ぎちょう)三個を結び、その上に扇子(せんす)や短冊(たんざく)などを添え、陰陽師(おんみょうじ)が謡(うた)いはやしながらこれを焼く「左義長」という行事がありました。今日では正月十五日前後に行われ、民間行事として正月の松飾りや注連縄(しめなわ)を集めて焼く火祭りの行事です。ほぼ全国的にみられますが、地方によって、どんど焼、さいとやき、三九郎焼(さんくろうやき)、ほちょじ、ほっけんぎょうなどの名称で行われています。
 神社では旧年お守り、いただいたお神札(ふだ)に感謝して、古神札の焼納も併せて行われますが、この火にあたると若返るとか、餅を焼いて食べると病気をしないとか、書初(かきぞめ)をかざしてそれが高く舞い上がると書が上手になるなどともいわれています。
 一年の始めにあたり、穢(けがれ)を祓(はら)い清めて、暖かい春の到来とその年の豊かな収穫を祈る行事でもあるという左義長の、その語源には鞠杖(ぎちょう)(毬(まり)を打つ長柄(ながえ)の槌(つち))に由来するとする説や、鳥追い行事との関連で鷺鳥(さぎちょう)の意味だとする説などがあります。

節分は秋にもあるといいますが本当ですか
 「節分」とは立春の前日をさします。そもそも節分という語は、立春だけに限らず立夏・立冬・立秋の前日をさし、四季の節目を意味していた言葉でした。つまり、節分は一年に四回あったわけですが、旧暦では立春が年の始まりにあたったことから、この節目が特に重要視されて、いつしか節分といえば、立春の前日をさすようになったのです。
 節分には、災厄や邪気を払う行事が行われますが、その代表的なものに「豆まき」があります。年男が「福は内、鬼は外」と唱えながら、煎(い)った大豆をまいて鬼を払うこの行事は、中国の明(みん)の時代の習慣を、室町時代に取り入れたといわれています。かつては、豆まきを「追儺(ついな)」「鬼遣(おにや)らい」といい、宮中の年中行事の一つでした。舎人(とねり)が扮した疫鬼を迫い払うことにより、災厄を払い除くというこの儀式が、次第に民間に伝わっていったのです。

雛祭(ひなまつ)りの本来の意味について教えてください
 三月三日の「雛祭り」とは、雛人形やその調度類を飾り、白酒・菱餅(ひしもち)・桃の花などを供えて、女児の健(すこ)やかな成長を祈る行事です。「桃の節句」「上巳(じょうし)の節句」ともいい、かつては節句を節供と書きました。
 上巳とは、旧暦三月の「上句の巳(み)の日」のことであり、中国では、この日に祓いの行事が行われました。これが日本に伝来して、日本の習俗と混じり合い、雛祭りへと発展したのです。ですから、元来は紙などで作った人形(ひとがた)で身体を撫(な)で、息を吹きかけたりして、その人形に罪穢(つみけがれ)を移し、海や川に流すという祓いの行事でした。 この人形が、時代が下るにつれ、いつしか王朝風の美しい雛人形へと変化し、人々に愛玩され鑑賞されるようになりましたが、それと共に祓いの習俗は後退していきました。しかし、現在でも鳥取県地方には、そのような雛祭りの原型が「流し雛」という形で残っています。

端午(たんご)の節句の「端午」とはどういう意味ですか
 端午の「端」には初めという意味があり、「午」は五と同音であることから、初めの午(うま)の日あるいは毎月の五日のことを、古くは端午といっていました。ですから、今のように五月五日に限らず、五月以外の月の五日もさしていたようです。
 五月五日の「端午の節句(節供)」には、鯉のぼりを立てたり、武者人形などを飾ったりして、男児の健(すこ)やかな成長を祈りますが、この行事は中国から伝来した習(なら)わしです。中国ではこの日に菖蒲酒(しょうぶざけ)を飲むなどして、邪気を払う行事が行われました。
 日本においては、五月という月が「物忌(ものい)み月」(田植えを間近に控え、身体を清める月)であったことから、邪気を払うために菖蒲酒を飲んだり菖蒲湯(しょうぶゆ)に入ったりしました。 菖蒲の香気は邪気を払うといわれ、魔除(まよけ)の薬草とされていたからです。
 また、この菖捕が「尚武(しょうぶ)」と同音であることから、武家では男子のお祝いとして、甲冑(かちゅう)や刀などを飾り、勇ましく成長することを祈ったのです。これがのちに形を変えて、武者人形飾りとなりました。 ちなみに鯉のぽりは、滝を遡(さかのぼ)る力強い鯉にあやかったものとされています。 現在では「子供の日」として国民の祝日にもなりました。

七夕(たなばた)で笹竹に短冊(たんざく)をつけるしきたりはいつ頃始まったのですか
 「七夕」といえば、牽牛(けんぎゅう)星と織女(おりひめ)星が年に一度、七月七日に天の川をはさんで逢うことができるという伝説が有名です。この伝説から、織女星をお祭りして裁縫(さいほう)や習字などが上達するように祈る、「乞巧奠(きこうでん)」という行事が生まれました。
 これら、中国から伝来した伝説と行事が、日本に古くから伝わる棚機女(たなばたつめ)(神衣を織る乙女)の伝説と結びつき、奈良時代には宮廷や貴族の問に取り入れられて、そして民間にも普及していきました。ちなみに、笹竹に色紙や文字を書いた短冊をつけて、軒先(のきさき)に立てるしきたりは、江戸時代になってからのことといわれています。
 また、七夕の日には、髪を洗ったり、子どもや牛馬を水浴びさせたりする風習が、各地に残されていることから、お盆を控えての、穢(けがれ)を祓(はら)い清める行事であったとも解釈されています。つまり、七夕の行事というのは、いくつもの要素が合わさり、その結果できあがった風習といえます。

お盆は仏教だけの行事なのですか 神道のお盆は
 「盆」とは仏教固有の行事のように考えられがちですが、決してそうではありません。これは、正月行事などと同じように、古くから伝わる日本固有の先祖祭りの行事なのです。その日本の行事と、仏教でいう先祖供養の行事が一緒になり、盆として習俗化したといわれています。
 盆には、亡き人の霊が家に戻ってくるとされ、もともとは旧暦の七月十五日を中心に行われていましたが、現在では新暦の七月十五日に行う地方と、旧暦の七月十五日に近い八月十五日に行う地方とがあります。一般に盆という言葉は、盂蘭盆会(うらぼんえ)(梵語(ぼんご)ウラバーナの音訳)の略とされていますが、供え物を載せる容器を、かっては盆といったことから、この行事を盆というようになったとの説もあります。いずれにしても、盆という行事は日本人にとって、先祖の御霊(みたま)を祭る意味を持つことから、とても重要視されているのです。

九月九日を重陽(ちょうよう)の節句というのはなぜですか
 「菊の節句」「九月節句」ともいいます。昔、中国では奇数は陽の数とされていて、その中でも「九」という数は最大の数であり、それが重なることから「重陽の節句」といわれるようになりました。もとは節供とも書きました。
 中国ではこの日、菊の芳香で邪気を払い寿命が延びるようにと願って、菊酒(菊をひたした酒)をくみかわしたり、丘や山に登り、邪気を払うとされている茱萸(しゅゆ)の実を採る「登高(とこう)」という行事がありました。
 日本には、平安時代に伝来し、宮廷の儀式「菊花の宴(重陽の宴)」となりました。 江戸時代になると、幕府がこの節句を武家の祝日として重要視したことから、公的な性質を備えたものになったのです。しかし、明治以降は次第に忘れ去られてしまい、地方によっては御九日(おくにち)(九月九目のこと)と呼ばれて、収穫を感謝する秋祭りが行われています。

十五夜・十三夜に団子(だんご)や餅(もち)を供えるのはなぜですか
 「十五夜」とは旧暦八月十五日、新暦では九月中旬あるいは下句に、満月を鑑賞する行事です。 「お月見」「名月(めいげつ)」「中秋(ちゅうしゅう)の名月」ともいわれ、昔から月見の好時節として詩歌や俳句の題材ともなっています。
 一般的に十五夜には、すすきを花瓶に挿(さ)し、団子と里芋や梨など、その時期の成り物を供えて、感謝の気持ちを表します。関西から中国地方にかけては、里芋を供えることから「芋名月」ともいい、もともとは芋類の収穫祭、すなわち畑作儀礼だったと考えられています。
このような月見の習慣は、中国では唐の時代からあり、これが日本に伝来しました。 そして、畑作物の収獲に関連する行事へと発展し、現在に至るまで長い間伝承されてきたのです。
 十五夜から約一ヶ月後の、旧暦九月十三日を「十三夜」といい、十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものとされていました。 十五夜だけでは、「片月見」といって忌まれていたのてす。また、十三夜は「豆名月」または「栗名月」ともいわれ、枝豆や栗なども供えられます。

酉(とり)の市(いち)に熊手(くまで)が売られるわけを教えてください
 毎年十一月の酉の日に、大阪府堺市にある大鳥神社を始め、全国の大鳥神社で行われるお祭りに、商売繁盛を祈って立つ市のことを「酉の市」といいます。「お酉さま」「酉のまち」ともいわれ、東京においては浅草の鷲(おおとり)神社が有名です。
 酉の市では、福徳をかき寄せる、福をとり(酉)寄せるというところから、おかめや千両箱などの飾りが付けられた熊手を、縁起物として求める参詣者の姿が多く見られます。
 最初の酉の日を一の酉(初酉(はつとり))、次をニの酉、その次を三の酉といいますが、この一の酉、二の酉というのは、一番目の酉の市、二番目の酉の市という意味です。 一の酉が月初めにある年は、三の酉まであり、そういう年には火事が多いという俗信がありますが、その真偽の程はわかりません。